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【記者発表】「見えない入力」から情報の流れを読み解く――デュアルレポーター法を用いた細菌走化性の情報処理の解明――

○発表のポイント:
◆生物の情報処理を特徴づける「入力から出力への情報の流れ」を、入力時系列を直接測定することなく定量化する新しい手法を提案しました。
◆本手法を大腸菌の走化性シグナル伝達系に適用し、生命が情報理論の限界に近い性能で情報伝達していることを実験的に示しました。
◆本手法は出力とそのコピーを同時に計測できれば広く適用可能であり、神経回路や発生過程、さらには人工知能等、多様なシステムの情報論的理解に応用されることが期待されます。

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情報の流れを入力を測定せずに計測できるデュアルレポーター系の構成

○概要:
 東京大学 生産技術研究所の小林 徹也 教授と理化学研究所 脳神経科学研究センターの中村 絢斗 基礎科学特別研究員、大阪大学 大学院生命機能研究科の研究グループは、システムの入力から出力へと流れる「情報」を、入力の時系列を直接観測することなく定量化する新しい情報解析手法を開発し、実験的にもその有効性を実証しました。
 生物は外界の刺激を感知し、その情報を処理して適切な応答を実現します。入力信号の情報がどれだけ効率的に応答へと伝達されているのかは「相互情報量」(注1)を測ることで定量化されますが、従来法では入力と出力の時系列の両方を高精度で測定する必要があり、実験計測が極めて困難でした。
 本研究では、同一の入力を受ける双子のような2つの出力を同時観測することで、入力時系列を測定せずとも相互情報量を推定できる方法を理論的に構築しました。さらにこの手法を、細胞が化学物質の濃度勾配を感知する走化性に適用して情報伝達量を定量的に評価しました(図1) 。得られた情報量は、細胞が効率的に走化性行動を行う際に環境から受け取る理論的な情報量と同程度であり、生命が情報理論の限界に近い性能で情報伝達していることを実験的に裏付ける結果となりました。

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図1:提案手法をバクテリアの化学走性へ適用した概要図。
2つのべん毛モーターが同一の細胞内シグナルを受ける「自然なデュアルレポーター」として機能し、入力を測定せずに情報の流れを定量化する相互情報量を推定できることを示した。

○発表者コメント:小林 徹也 教授の「もしかする未来」
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この研究の出発点は、「理論的には重要だが、実験的には測るのが難しい」とされてきた情報量を、何とか実データから評価できないかという素朴な疑問でした。デュアルレポーターという古典的な実験概念を情報理論と結びつけることで、その壁を越えられたことに大きな意義を感じています。今後は、神経回路や人工知能など、情報が機能を規定するさまざまな系への応用を進めていきたいと考えています。

○発表内容:
 生物は外界から得られる限られた情報をもとに、環境に適応した行動や応答を行っています。このような生物の振る舞いは「情報処理」として理解することができ、近年では情報理論を用いて生命情報処理の性能や限界を定量的に評価する研究が進められてきました。その中心的な指標が相互情報量であり、入力信号がどの程度正確に下流の応答に反映されているかを測る尺度として用いられています。
 しかし、相互情報量を実験データから評価するためには、入力と出力の両方の確率分布を十分な精度で推定する必要があります。実際の生物システムでは、入力信号が高次元であったり、時間的に変動する内部状態として符号化されていたりすることが多く、入力と出力、特にその時系列を同時にかつ十分な精度とデータ数で測定することは一般に困難です。この制約が、情報理論に基づく解析を現実の生物システムへ適用する際の大きな障壁となってきました。
 本研究では、この問題を回避するために、同一の入力を受け取り双子の様に振る舞う2つの出力を同時に観測する「デュアルレポーター系」(注2)に着目しました。デュアルレポーターは、もともとは遺伝子発現のゆらぎを解析するために導入された実験概念であり、上流からの共通の影響と、各出力に固有のゆらぎを分離できる点が特徴です。本研究グループはこの枠組みを情報理論へと拡張し、2つの出力の統計的相関構造から、入力と出力の間の相互情報量を直接推定する理論的手法を構築しました。この方法では入力信号を明示的に測定する必要がなく、出力に関する実験データのみから情報の流れを評価できるという利点があります。
 この新しい手法の有効性を検証するため、本研究では大腸菌の走化性シグナル伝達系を対象としました(図1) 。大腸菌は化学物質の濃度勾配を感知し、その情報をもとに複数のべん毛モーターの回転方向を制御することで移動方向を調整します。このとき、同一細胞内に存在する複数のべん毛モーターは、同じ細胞内シグナルを受け取る「自然なデュアルレポーター」とみなすことができます。研究グループは、2つのモーターの回転状態を同時に計測した一細胞データを用い、細胞内シグナル伝達系からモーター制御への情報の流れを定量的に評価しました。
 解析の結果、正常な走化性機能をもつ細胞では比較的高い情報量が伝達されている一方で、シグナル伝達経路を阻害した変異体では情報量がほぼ0に低下することが明らかになりました。さらに、感覚側で理論的に達成可能とされる情報量の上限と比較することで、モーター側の情報処理が生理的条件下において要求される水準と整合的であることが示されました。これらの結果は、生命が情報理論的な制約のもとで効率的に情報を利用していることを、実験データに基づいて裏付けるものです。
 本研究で提案した手法は、特定の数理モデルや入力分布の仮定に依存せず、複数の出力を同時に観測できる系であれば広く適用可能です(図2) 。今後は、神経回路、発生過程、免疫応答、さらには人工知能システムなど、情報の伝達と処理が機能を規定する多様なシステムへの応用が期待されます。

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図2:デュアルレポーター系の多様な応用可能性。化学物質による細胞間情報伝達や神経細胞の間の情報伝達に加え、人工ニューラルネットワーク内を伝わる情報量の計測などにも応用できると考えられる。

○発表者・研究者等情報:
東京大学
 生産技術研究所
  小林 徹也 教授

理化学研究所
 脳神経科学研究センター 
  中村 絢斗 基礎科学特別研究員

大阪大学
 大学院生命機能研究科
  石島 秋彦 教授
  福岡 創 准教授

○論文情報:
〈雑誌名〉Physical Review Letters
〈題名〉Quantification of Information Flow by Dual Reporter System and Its Application to Bacterial Chemotaxis
〈著者名〉Kento Nakamura, Hajime Fukuoka, Akihiko Ishijima, Tetsuya J. Kobayashi
〈DOI〉10.1103/jrph-wj94

○研究助成:
本研究は、JST CREST「構造的・動力学的制約を活用した多元混合化学情報の解読とその応用(課題番号:JPMJCR2011)」、「複雑生体現象の予測と制御に向けた離散・連続の統合幾何解析の構築と応用(課題番号:JPMJCR25Q2)」、科研費「適応過程の情報物理学的理解(課題番号:19H05799)」、「細菌個体レベルの情報処理の情報熱力学的な理解(課題番号:19H05797)」、「進化情報アセンブリの統合理論と進化則の解読技術の構築(課題番号:25H01365)」、「分散的な推定・行動システムの最適性に基づく生物の探索行動の理解(課題番号:20J21362)」、理化学研究所基礎科学特別研究員制度の支援により実施されました。

○用語解説:
(注1)相互情報量
 情報理論で重要な役割をもつ、2つの変数間の依存関係の強さを表す統計量である。片方の変数を知ることで、もう片方の変数に対する不確実性がどの程度低下するかを表す。実際のデータから計算するには、両方の変数を同時に測定した大量のデータが一般には必要となり、技術的に困難が多い。

(注2)デュアルレポーター系
 遺伝子発現のゆらぎ(ノイズ)の原因を区別するために提案された実験系で、同じ遺伝子を2つ、同一の細胞内に組み込んで発現させる。2つの遺伝子は同一の細胞環境にあるため、環境由来のゆらぎ(外在ノイズ)は両方に共通する相関部分として、遺伝子発現そのものがもつゆらぎ(内在ノイズ)は独立に生じる非相関部分として、定量的に分離することができる。本研究では、外在ノイズが環境から遺伝子への影響を表すことに着目し、情報伝達の計算に応用した。

○問い合わせ先:
〈研究に関する問い合わせ〉
東京大学 生産技術研究所
教授 小林 徹也(こばやし てつや)
Tel:03-5452-6798
E-mail:tetsuya(末尾に"@sat.t.u-tokyo.ac.jp"をつけてください)

〈報道に関する問い合わせ〉
東京大学 生産技術研究所 広報室
Tel:03-5452-6738 
E-mail:pro (末尾に"@iis.u-tokyo.ac.jp"をつけてください)

理化学研究所 広報部 報道担当
Tel: 050-3495-0247 
Email: ex-press(末尾に"@ml.riken.jp"をつけてください)

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