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【共同発表】パンデミックを止めるために他者への強い配慮は必要ない―感染時の自己隔離は自然な生存戦略であることを数理モデルが解明―(発表主体:京都大学)

○概要:
 英国ウォーリック大学 Matthew Turner教授、東京大学 生産技術研究所 Simon Schnyder 特任助教、京都大学大学院 工学研究科 山本 量一 教授、John Molina同助教らの研究グループは、感染症流行時に人々がどのような行動を選ぶかを数理モデルとゲーム理論を用いて予測することに成功しました。感染者は自ら隔離しても直接の利益を得にくいため、これまで自己隔離には他者への配慮が必要だと考えられてきました。本研究では、感染状況や流行規模、ワクチン接種までの時間などを考慮したモデルを構築し、人々の行動がどのような集団結果を生むかを調べました。その結果、ごく弱い利他性しか持たない場合でも、感染時に接触を大きく減らすことが合理的な選択となり得ることを示しました。多くの人がそのように行動すれば、大規模流行を防げる可能性があります。本成果は、感染症対策における自発的行動の重要性を示すとともに、今後の公衆衛生政策の検討に新たな視点を提供します。
 本研究成果は、2026年2月27日に米国の国際学術誌「Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America (PNAS)」にオンライン掲載されました。

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1.背景
 COVID-19パンデミックを契機に、自主的協力行動の役割と限界が社会的に強く意識されるようになりました。その結果、感染症の流行時には、感染による健康リスクと、ソーシャルディスタンスを取ることによる社会経済的コストとの間でバランスを取ることが重要であることは広く認識されています。しかし、様々な感染症に対してどのように個人が行動し、どのような政策を政府が導入すれば効果的なのか、その指針を与える明確な原理はこれまで知られていませんでした。例えば、自己隔離は感染者自身にとって健康上の直接的な利益をもたらさないため、他者への配慮がなければ選択されにくいと考えられますが、感染者が自己隔離を選ぶには、他者をどの程度思いやる必要があるのか不明でした。この問いに答えるため、本研究グループは、パンデミック下における人々の行動を記述する数理モデルを構築しました。

2.研究手法・成果
 本研究グループは、数理モデリングとゲーム理論①を用い、感染状況、他者への配慮の度合い、流行規模、ワクチン接種までの予想期間、基本再生産数(R₀)②、感染および社会的距離確保のコスト、有症状者の割合など複数の要因に基づき、個人が流行期にどのような意思決定を行うかを分析しました。その結果、社会は二つの安定した状態(ナッシュ均衡③)に落ち着くことが示されました。
 一つのナッシュ均衡(無期限抑制)では、感染者が十分に利他的であるため積極的に自己隔離を選択し、未感染者は通常活動を維持しつつ、疾病は長期的に抑制されます。もう一つの均衡(集団免疫)では、感染者は隔離を選択せず、感受性を持つ未感染者のみが自己防衛のために社会的距離を取り、その結果、集団免疫が形成されるまで感染は拡大します。
 特に重要な成果は、無期限抑制を安定化させるために必要な利他性の水準が極めて低いことが示された点にあります。本研究により、感染者のわずかな利他性であっても、集団免疫に至る経路の代替として無期限抑制が成立しうることが理論的に示されました。この成果を公衆衛生政策に活かすことにより、感染者数、死亡者数、社会的混乱はいずれも大幅に少なくなる可能性があります。
 さらに注目すべきは、多くが無症状である場合や、一部に完全に利己的な個人が存在する場合、あるいはワクチンが近く利用可能になると予想される状況であっても、この結論が成立する点にあります。

3.波及効果、今後の予定
 本研究は、公衆衛生政策におけるリスクコミュニケーションや制度設計に対して理論的基盤を提供するものです。特に、初期流行段階における情報提供の重要性や、利他性に訴えるメッセージの有効性について、定量的示唆を与えることができます。一方で、本研究は、均質な集団を仮定しており、社会的格差やネットワーク構造、誤情報の拡散といった現実社会の複雑性は十分に取り込まれていません。今後は、社会ネットワーク構造や情報ダイナミクスを組み込んだ拡張モデルの構築を進める予定です。また、利他性を前提とする政策設計は、個人の自由とのバランスを慎重に検討する必要があります。利他性の強制や監視強化につながらない制度設計について、社会的議論を深めることが重要だと考えます。

4.研究プロジェクトについて
 本研究は、JSPS科学研究費補助金(KAKENHI)およびJSPS Core-to-Core Programなどの支援を受け、ウォーリック大学、東京大学、京都大学の共同研究として実施されました。

○用語解説:
①ゲーム理論
複数の主体(個人や企業、国家など)が互いの行動を予測しながら意思決定を行う状況を数理的に分析する理論。自分の選択が相手の行動に影響し、同時に相手の選択も自分に影響するような状況に有効で、経済学や社会科学だけでなく、生物学や感染症対策の研究にも広く応用されている。

②基本再生産数(R₀)
感染者1人が完全感受性集団において平均何人に感染させるかを示す指標。R₀が1を超えると感染は拡大する。

③ナッシュ均衡
ゲーム理論における重要な概念で、すべての参加者が現在の戦略をとっている限り、誰も自分だけ行動を変えても得をしない安定した状態を指す。つまり、他の人が行動を変えない限り、自分も戦略を変える動機がない状況であり、本研究では、感染者が自己隔離を選ぶ状態と選ばない状態のそれぞれがナッシュ均衡として現れることが示された。

〇研究者のコメント:
 感染症対策において、人々の強い利他心を前提としなくても、ごく小さな他者への配慮が流行の帰趨を左右し得ることを理論的に示した点が本研究の核心です。さらに、流行規模が拡大するほど必要とされる利他性の水準が上昇するという結果は、初動段階での迅速な情報発信と、科学的根拠に基づく説得力ある政策設計の重要性を明確に示しています。今後は理論枠組みと実証データを統合し、より実装可能性の高い公衆衛生政策の設計へと発展させていきたいと考えています。(Matthew Turner/山本 量一)

〇論文タイトルと著者:
タイトル:The theory of epidemics with altruism(利他性を組み込んだ感染症流行の理論)
著  者:Mark P. Lynch, John J. Molina, Ryoichi Yamamoto, Simon K. Schnyder, Matthew S. Turner
掲 載 誌:Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America (PNAS)
DOI:10.1073/pnas.2518893123

○問い合わせ先:
〈研究に関する問い合わせ〉
山本 量一(やまもと りょういち)
京都大学大学院工学研究科 化学工学専攻 教授
TEL:075-383-2661
E-mail:ryoichi(末尾に"@cheme.kyoto-u.ac.jp"をつけてください)
X : @ryoichi0921

Simon Schnyder(サイモン シュニーダー)
東京大学 生産技術研究所 特任助教
TEL:03-5452-6798 
E-mail:simon(末尾に"@sat.t.u-tokyo.ac.jp"をつけてください)

<報道に関する問い合わせ>
京都大学広報室国際広報班
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東京大学 生産技術研究所 広報室
TEL:03-5452-6738 
E-mail:pro(末尾に"@iis.u-tokyo.ac.jp"をつけてください)

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