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【記者発表】誘電体の熱励起表面波の分光測定に成功 ――パワー半導体素子の最適設計に期待――

○発表のポイント:
◆物質が自ら発する表面電磁波を分光測定する技術を開発した。これにより、物質表面の熱の詳細情報をナノスケール分解能で評価することが可能になった。
◆誘電体(AlN、GaN)の格子振動共鳴波長近傍における熱励起エバネッセント波分光は、世界初。
◆表面フォノン共鳴近傍波長における分光結果から、熱励起エバネッセント波に関する基礎理論と異なる新しい知見が得られた。
◆ナノスケールでの熱情報を得られることから、パワー半導体素子の最適設計への適用が期待される。

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物質表面波の分光光学系

○概要:
 東京大学 大学院工学系研究科 博士課程の佐久間 涼子 大学院生(研究当時)、同大学 生産技術研究所の林 冠廷 特任助教(研究当時)、梶原 優介 教授は、熱揺らぎによって物質表面に発現する熱励起エバネッセント波(注1)を、ナノスケール分解能で分光測定(注2)する技術を開発しました。
 半導体デバイス内配線の最小サイズが10 nmオーダ以下となる現在、微細パターン内で生じる熱励起雑音は非常に大きな課題となっています。その雑音信号の同定技術はデバイス最適設計において強く望まれているところですが、これまでの技術では非常に困難とされてきました。本研究室では、熱揺らぎに起因する熱励起エバネッセント波に着目し、熱励起雑音を評価する技術の開発を進めてきました。熱励起エバネッセント波は、ボース分布関数(注3)に従うため、適切に検出できれば物質表面の熱情報をナノスケール分解能で評価することが可能です。従来は検出が不可能とされてきた熱励起エバネッセント波ですが、本研究室では、先端径50 nm以下のタングステン探針で表面電磁波を散乱し、クライオスタット(注4)内の光学系で検出するパッシブ近接場顕微鏡(注5)を開発し、高精度検出に成功していました。
 本研究では、クライオスタット内にグレーティング(注6)を導入した分光光学系を設計・構築することによって熱励起エバネッセント波の分光測定に成功しました。さらに、熱励起エバネッセント波の主要波長帯である10~20 µmにフォノン(注7)共鳴を持つ誘電体(GaN、AlN)の近接場分光を行い、共鳴波長帯周辺で非常に特徴的な信号を捉えました。これらの知見は、熱や熱伝導の精密分析技術に繋がることから、パワー半導体素子の最適設計への応用が大きく期待されます。
 本研究成果は、2023年10月16日に「Scientific Reports」に掲載されました。

○発表内容:
 物質表面は図1のように、伝導電子や格子振動などの熱揺らぎに起因する「熱励起エバネッセント波」によって覆われています。表面のダイナミクスを反映した電磁波であるため、物質表面における温度(格子温度、電子温度)など重要な情報を持っています。ただし、さまざまな揺らぎ(波数成分)を持っているために表面近傍で簡単に打ち消しあい、100 nm以下の距離で減衰してしまいます(一部打ち消しあわずに伝搬した成分がプランク輻射(注8)となります)。室温近傍における熱励起エバネッセント波の主要波長は、8~16 µmです。本研究室では、50 nm以下の径を持つ金属探針先端で熱励起エバネッセント波を散乱させ、共焦点光学系を通して低温部の高感度検出器CSIP(注9)で検出するという、パッシブ近接場顕微鏡を以前開発し、20 nmの空間分解能による熱励起エバネッセント波の検出に成功していました。

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図1:熱励起エバネッセント波の概念図

 しかし、これまでのパッシブ近接場顕微鏡では分光測定ができなかったため、物質表面ダイナミクスの詳細な評価ができていませんでした。本研究では、パッシブ近接場顕微鏡にグレーティング型の分光光学系を導入し、熱励起エバネッセント波の分光測定を試みました。常温部に分光光学系を導入すると光学素子が輻射による背景雑音を出して検出信号がノイズに埋もれてしまうため、分光光学系を4.2 Kのクライオスタット内に組み込むことが肝要でした。測定実験では、特に熱励起エバネッセント波の主要波長で表面フォノン共鳴を持つ誘電体(GaN、AlN)に焦点を当て、測定波長を変えながら各波長における減衰曲線(表面からの距離と近接場信号の関係)を測定し、表面フォノン共鳴波長に近い場合と遠い場合で減衰曲線に非常に特徴的な差が現れることを発見しました。例えば、波長14 µm近傍で減衰曲線を計測すると、表面フォノン共鳴波長が遠いAlN(共鳴波長: 11.8 µm)の場合は、図2左のように数10 nmで減衰するという、熱励起エバネッセント波理論に特徴的な信号が得られています。一方、表面フォノン共鳴波長が近いGaN(共鳴波長: 14.1 µm)の場合は、図2右のように共鳴波長と同じ波長で無いと信号が観察されず、かつ減衰距離は、理論よりはるかに長い数100 nmでした。この結果は、表面フォノン共鳴波長に近い波長帯においては、表面フォノンポラリトン(注10)のみが存在しており、様々な波数を持った高周波熱揺らぎがほとんど存在していないことを強く示唆しています。これは、すべての波長において熱揺らぎが存在し、かつ減衰距離が短いという熱励起エバネッセント波の基礎理論と異なる結果であり、熱励起エバネッセント波に関する理論を補正する必要があるという新しい知見となっています。一方、パワー半導体で使用されるGaN、AlNにおいて非常に特徴的な信号が高分解能(20 nm)で得られていることから、パワー半導体の微小デバイス内における熱励起雑音の評価など、デバイス最適設計に本計測技術を適用することも大きく期待されます。

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図2:各波長における熱励起エバネッセント波の減衰(左:AlN,右:GaN)

○発表者・研究者等情報
東京大学 
  生産技術研究所
    梶原 優介 教授
    林 冠廷 特任助教(研究当時)
  
  大学院工学系研究科
    佐久間 涼子 博士課程(研究当時)

○論文情報:
〈雑誌〉Scientific Reports
〈題名〉Thermal near-field scattering characteristics for dielectric materials
〈著者〉*Ryoko Sakuma, Kuan-Ting Lin, Yusuke Kajihara
〈DOI〉 10.1038/s41598-023-44920-y

○研究助成:
 本研究は、JSTさきがけ「熱励起エバネッセント波を介したナノスケール熱分光法の開拓(代表者:梶原 優介 東京大学 生産技術研究所 教授 課題番号:JPMJPR19I5)」の支援により実施されました。

○用語解説:
(注1)熱励起エバネッセント波
 熱に起因する電子運動、格子振動によって正負電荷の相対運動が生じ、結果として物質表面に生じる表面波のこと。室温における主要波長は8~20 µm。プランク輻射の1万倍以上の電磁エネルギーが表面から100 nm程度に局在しており、信号強度は物質の誘電率、物質の温度、物質表面からの距離、波長に依存する。

(注2)分光測定
 電磁波の情報を波長ごとに取得する測定法のこと。

(注3)ボース分布関数
 相互作用のないボース粒子(フォトン、フォノンなど)の系において、一つのエネルギー準位に入る粒子の数を与える理論式のこと。

(注4)クライオスタット
 真空断熱を利用して試料を低温に保持するための装置。寒剤(液体ヘリウムなど)や機械式冷凍機によって冷却され、低温に保たれる。

(注5)パッシブ近接場顕微鏡
 波長よりもはるかに小さい空間分解能を実現する近接場顕微鏡のうち、外部照射光を用いずに物質自身の放射電磁波を検出するもの。金属探針で物質表面の電磁波を散乱し、散乱フォトンを検出するため、探針径と同等の空間分解能を得ることができる。

(注6)グレーティング
 回折格子のこと。金属などの鏡面に周期的な溝が入っており、入射光ごとに決まった角度で光が強めあうため、グレーティングの角度を制御することによって検出波長選択が可能となる。

(注7)フォノン
 格子振動を量子化したもの。振動が伝わっていく様子を粒子が移動するように見なすことができる。比熱や熱伝導はフォノン間の相互作用として説明できる。

(注8)プランク輻射
 放射場と熱平衡状態にある物体の放出する電磁波のこと。発見者であるドイツのプランクにちなんでこの名前で呼ばれる。

(注9)CSIP
 電荷敏感型赤外光トランジスタ(Charge Sensitive Infrared Phototransistor)のこと。GaAs/AlGaAsによる二重量子井戸を利用した非常に高感度な赤外検出器であり、市販のHgCdTe(MCT)検出器の1万倍以上の感度を持つ。
*参考:根間ほか, 生産研究,68, 2 (2016) 175-178.

(注10)表面フォノンポラリトン
 極性結晶中の光学フォノンと光が結合した表面波のこと。可干渉性(コヒーレンス)が強いため、コヒーレンス長に依存する減衰距離が、高周波揺らぎが支配的な熱励起エバネッセント波(数10 nm)と比べて圧倒的に長い(µmオーダ)。

○問い合わせ先:
(研究内容については発表者にお問合せください)

東京大学 生産技術研究所
教授 梶原 優介(かじはら ゆうすけ)
Tel:03-5452-6465
E-mail:kajihara(末尾に"@iis.u-tokyo.ac.jp"をつけてください)

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