○発表のポイント:
◆ 水滴・固体・気体の境界線に働く「線張力」の微視的起源を、分子レベルで明らかにしました。
◆ 線張力は表面化学だけで決まるのではなく、接触線での水分子の四面体構造の崩壊によって大きさだけでなく符号まで反転することを示しました。
◆ さらに、親水性基板上に形成された二分子層氷が、構造ミスマッチのために見かけ上疎水的に振る舞うことを見出し、ぬれの制御に新たな分子設計指針を与えました。

固体基板上の水滴
○発表概要:
東京大学 生産技術研究所 着霜制御サイエンス社会連携研究部門(研究当時)/同大学 先端科学技術研究センターの田中 肇 特任研究員(東京大学名誉教授)と 東京大学 生産技術研究所 着霜制御サイエンス社会連携研究部門(研究当時)/同大学 先端科学技術研究センターのモイド モハド 特任研究員の研究グループは、水ナノ液滴のぬれを支配する「線張力(注1)」の微視的起源を、分子動力学シミュレーションと熱力学解析によって解明しました。
線張力とは、液体・固体・気体の三相が接する「接触線(注2)」に沿って生じる過剰な自由エネルギー(系の安定性を決めるエネルギー)であり、特にナノメートルスケールでは、液滴の接触角(注3)や広がり方を左右する重要な量です。しかし、その分子論的起源や、完全ぬれ(注4)に近づくと符号が反転する理由については、長年はっきりしていませんでした。
本研究では、水滴をさまざまなぬれやすさを持つ基板上に置いた平衡状態を詳細に解析しました(基板相互作用強度 𝜖 が大きいほどぬれやすく親水性が強い)。そして、線張力を、液滴形状のサイズ依存性を用いる幾何学的方法(図1a)と、自由エネルギー計算に基づく熱力学的方法(図1b)の二通りで定量しました。その結果、両者はよく一致し、線張力の符号反転が接触線近傍での水分子の四面体水素結合構造(四面体秩序(注5))の崩壊と直接結びついていることが明らかになりました(図1b,e,f)。特に、親水性が強くなると、基板の表面場が水の四面体構造を押しつぶし、接触線の安定性を決める自由エネルギーを低下させるため、線張力が負へと反転します。このとき接触線では、基板に引き寄せられる効果と水が本来の四面体構造を保とうとする効果が競合しており、その様子を模式的に示したのが図1dです。
さらに、低温で親水性基板上に形成される二分子層氷の上では、基板自体は親水的であるにもかかわらず、水滴が大きな接触角を示し、見かけ上疎水的に振る舞うことも分かりました(図2a,b)。図2aは、二分子層氷(注6)の形成に伴って接触角が時間とともに増大する様子を示しており、図2bは、その結果として二分子層氷で覆われた表面が実効的に疎水化することを示しています。これは、平面的な二分子層氷の構造と、その上の液体水が好む三次元的な四面体構造との間に、構造的ミスマッチ(注7)があるためです。

図1線張力の大きさと符号は、接触線での水の局所構造変化によって決まる
(a) さまざまな基板相互作用強度 𝜖に対して、cosθ を接触線半径の逆数 1/R0に対してプロットした結果から幾何学的方法により線張力 τを求めた。(b) 幾何学的方法と熱力学的方法の2通りで評価した線張力 τの 𝜖依存性。両者はよく一致し、基板の親水性が高くなると線張力が符号反転することが分かる。(c) 2つの方法から求めた巨視的接触角と、実際のナノ液滴の接触角の比較。線張力の寄与が、特に完全ぬれに近い領域で無視できないことを示している。(d) 接触線近傍で働く2つの競合効果の模式図。基板が水分子を表面側へ引き寄せる力と、水の四面体的な水素結合構造を保とうとする力の競合が、接触線の安定性を決める。(e) 接触線近傍の隣接水分子間の鉛直方向変位 ⟨Δz⟩の 𝜖依存性。親水性が強くなるとこの値が急減し、接触線で四面体構造が崩壊することを示している。(f) 接触線近傍にある隣接水分子間の鉛直方向変位 Δzの分布。分布の変化は、ぬれ転移と線張力の符号反転が、接触線での局所構造変化に由来することを示している。

図2 二分子層氷で覆われると、親水性基板は見かけ上疎水的に振る舞う
(a) 温度を280 Kから240 Kへ下げた後の液滴接触角の時間変化。基板上に二分子層氷が形成されるにつれて接触角が増大し、水滴が広がりにくくなる様子を示す。右のスナップショットは、基板上に形成された二分子層氷の上に液滴が載った状態の時間発展を示している。(b) あらかじめ二分子層氷で覆った基板上に置いた液滴の巨視的接触角の基板相互作用強度 𝜖 依存性。基板自体は強い親水性を持つにもかかわらず、二分子層氷が表面を覆うことで接触角は大きく保たれ、表面が実効的に疎水化されることが分かる。これは、平面的な二分子層氷の構造と、その上にある液体水が好む三次元的な四面体構造との間に構造ミスマッチがあるためである。
本成果は、ぬれを単なる表面化学や連続体力学の問題としてではなく、界面における分子レベルの構造と安定性の結びつきとして捉え直すものであり、ナノ流体、凍結制御、界面材料設計に新たな指針を与えると期待されます。
○発表者コメント:田中 肇 東京大学名誉教授の「もしかする未来」
線張力は古くから知られた概念ですが、その正体が分子レベルでどこにあるのかは、実はよく分かっていませんでした。今回、接触線における水の四面体構造の安定性そのものが、ぬれやすさを決めていることが見えてきました。ぬれは表面の化学だけでなく、水自身が界面近傍で形成する局所的な構造によっても左右されるということです。今後は、接触線近傍で生じる水の構造形成を普遍的な原理として捉え直し、ぬれの学理を再構築することで、界面科学の新たな展開につなげていきたいと考えています。
○発表内容:
水が固体表面上でどのように広がるか、すなわち「ぬれ」は、表面科学、材料科学、熱流体工学、生体界面など、多くの分野で中心的な問題です。通常、液滴の接触角は、固体―液体、固体―気体、液体―気体の三つの界面張力のつり合いで記述されます。しかし、液滴がナノメートルスケールになると、三相が交わる接触線そのものの自由エネルギー、すなわち線張力の寄与が無視できなくなります。
線張力は、水滴の接触角のサイズ依存性や完全ぬれ近傍での異常な挙動を説明する上で重要と考えられてきましたが、その値や符号は研究ごとに大きく異なり、なぜ正になったり負になったりするのかについても統一的理解はありませんでした。従来は、基板の化学的性質や熱揺らぎ、あるいは高次の曲率補正などが主な原因として議論されてきましたが、液体そのものの構造との直接的な関係は十分に理解されていませんでした。
本研究では、この問題に対し、「接触線において水分子の局所構造がどのように変形するか」という観点から取り組みました。研究グループは、粗視化された水のモデル(注8)を用いた大規模分子動力学シミュレーション(注9)により、さまざまな基板親水性に対して水ナノ液滴を十分に平衡化し、その形状と自由エネルギーを解析しました。まず、液滴サイズと接触線半径の間に成り立つ構造―熱力学的なスケーリング関係(注10)を見出し、これを用いて修正Young方程式(注11)から線張力を抽出しました。さらに、界面・接触線に属する分子の内部エネルギーとエントロピー(注12)を直接評価する熱力学的方法でも線張力を求め、両者がよく一致することを示しました。
その結果、図1に示したように、弱い親水性から疎水性の領域では線張力は小さく、接触角への影響も限定的である一方、完全ぬれに近づくにつれて線張力が支配的になり、ついには符号が反転することが分かりました。重要なのは、この反転が単なる連続体的補正(注13)ではなく、接触線近傍での水の局所的な構造の転移に対応していることです。具体的には、水分子間の四面体的な配置を反映する近接分子の鉛直変位が、親水性の増大とともに急減し、接触線で水の四面体秩序が崩壊することが明らかになりました。
この結果は、接触線で競合している二つの効果の存在を意味します。ひとつは、水分子同士の水素結合ネットワークが四面体構造を保とうとする効果、もうひとつは、親水的基板が水分子を下方へ引き寄せて平面的に配向させようとする効果です。疎水的あるいは弱い親水的表面では前者が勝ち、接触線の分子は液滴内部に向いた構造を保つため、広がりは抑えられます。これに対して強い親水性表面では後者が勝ち、水分子は基板に沿って横方向へ広がる配向をとるようになり、接触線の自由エネルギーが下がって、線張力は負になります。すなわち、線張力の符号反転は、接触線での四面体構造の崩壊という分子レベルの構造転移の表れです。
さらに研究グループは、低温でのぬれ挙動にも注目しました。親水性基板を冷却すると、基板表面には二分子層の六方晶氷が自発的に形成されます。直感的には、そのような氷層は水をよりぬれやすくしそうですが、実際には逆に、水滴はその上で大きな接触角を示し、基板が見かけ上疎水的になります。シミュレーションでは、二分子層氷が形成される過程で接触角が約68度から約91度へ上昇し、あらかじめ二分子層氷で覆った基板上でも大きな接触角が保たれることが確認されました(図2)。
この一見逆説的な結果の本質は、構造ミスマッチにあります。二分子層氷は平面的な六角格子構造をとるのに対し、その上の液体水は三次元的な四面体配位を好みます。この不整合のため、界面では水素結合ネットワークが滑らかにつながらず、界面自由エネルギーが上昇します。つまり、化学的には親水的な表面でも、隣接する相の局所構造が適合しなければ、ぬれは抑制されうることが示されました。
以上の結果は、水のような局所的な構造化を示す液体(シリコンやゲルマニウム)の固体基板へのぬれを決める本質が、表面の化学組成だけではなく、界面で実現される局所構造秩序の安定性にあることを示しています。本研究は、水の線張力の長年の謎に微視的な物理像を与えるとともに、液体・固体界面の設計を「構造適合性」という新しい観点から進める道を開くものです。今後は、水以外の四面体液体や複雑な分子液体、生体界面へとこの考え方が広がることが期待されます。
○発表者・研究者等情報:
東京大学
生産技術研究所 着霜制御サイエンス社会連携研究部門(研究当時)
田中 肇 先端科学技術研究センター 極小デバイス理工学分野 特任研究員/東京大学名誉教授
モイド モハド 先端科学技術研究センター 極小デバイス理工学分野 特任研究員
○論文情報:
〈雑誌名〉Nature Physics
〈題名〉Structural origin of line-tension reversal in nanoscale wetting of water
〈著者名〉Mohd Moid*, Hajime Tanaka* *責任著者
〈DOI〉10.1038/s41567-026-03299-z
○研究助成:
本研究は、ダイキン工業株式会社との契約に基づき設置された着霜制御サイエンス社会連携研究部門において、一部、文部科学省科学研究費 特別推進研究(JP20H05619)の支援を受け実施されました。
○用語解説:
(注1)線張力
液体・固体・気体の三相が接する線に沿って生じる、単位長さあたりの過剰な自由エネルギーです。ナノスケールの液滴では、接触角やぬれ挙動に大きな影響を与えます。
(注2)接触線
液滴、固体表面、周囲の気相が同時に接する境界線のことです。巨視的なぬれ現象と分子レベルの構造変化が最も強く結びつく場所です。
(注3)接触角
液滴が固体表面上で作る角度です。小さいほどよくぬれ、大きいほどぬれにくいことを意味します。
(注4)完全ぬれ
液体が固体表面上に自発的に広がり、接触角がほぼゼロに近づく状態です。ナノスケールでは線張力の寄与が特に重要になります。
(注5)四面体秩序
水分子が周囲の分子と作る局所的な配位構造で、氷や液体水の水素結合ネットワークを特徴づける基本的な幾何学構造です。
(注6)二分子層氷
基板表面近傍で安定化された、厚さがほぼ二分子層の薄い氷構造です。平面的な六角配列をとり、液体水の三次元的四面体構造とは異なる幾何学を持ちます。
(注7)構造的ミスマッチ
界面を挟んで接する二つの相が、それぞれ好む分子配列や配向をうまく両立できないことです。この不整合は界面自由エネルギーを上昇させ、ぬれを抑制します。
(注8)粗視化された水のモデル
水分子の細かな構造をすべてそのまま扱うのではなく、本質的な性質だけを残して簡略化した計算モデルです。これにより、多数の水分子がつくる大きな系や長い時間スケールの振る舞いを効率よく調べることができます。本研究では、水の四面体的な構造形成を適切に表せる粗視化モデルを用いて、ぬれや接触線近傍の構造変化を解析しました。
(注9)分子動力学シミュレーション
原子や分子に働く力をもとに、その時間発展を数値的に追跡する計算手法です。本研究では、水滴の平衡形状と界面構造を粒子レベルで解析するために用いられました。
(注10)スケーリング関係
ある量が別の量に対して、一定の規則に従ってどのように増減するかを表す関係です。例えば、ある長さが2倍になったときに別の量が何倍になるか、といった対応を示します。本研究では、液滴の大きさと接触角の関係から線張力を読み解くために用いました。
(注11)修正Young方程式
液滴の広がり方を表す基本式(Young方程式と呼ばれる)に、接触線の効果を付け加えた式です。大きな液滴では通常の式で十分ですが、小さな液滴では接触線の影響が強くなるため、この修正版が必要になります。本研究では、水滴の大きさによって接触角がどう変わるかを調べ、この式から線張力を求めました。
(注12)内部エネルギーとエントロピー
物質や界面の安定性は、分子間相互作用に由来する内部エネルギーと、分子配置の自由度を表すエントロピーの両方で決まります。本研究では、この二つの寄与を評価することで、接触線の自由エネルギー、すなわち線張力を熱力学的に求めました。
(注13)連続体的補正
物質を細かな分子の集まりとしてではなく、なめらかにつながったものとして近似したときに加える補正です。表面の曲がり方や液滴の形の効果を大まかに表すのに使われます。本研究では、こうした補正だけでは観測された線張力の変化は説明できないことが分かりました。
○問い合わせ先:
〈研究に関する問い合わせ〉
東京大学名誉教授
東京大学 先端科学技術研究センター
特任研究員 田中 肇(たなか はじめ)
Tel:03-5452-6125
E-mail:tanaka (末尾に"@iis.u-tokyo.ac.jp"をつけてください)
〈報道に関する問い合わせ〉
東京大学 生産技術研究所 広報室
Tel:03-5452-6738
E-mail:pro(末尾に"@iis.u-tokyo.ac.jp"をつけてください)
東京大学 先端科学技術研究センター 広報広聴・情報支援室
Tel:03-5452-5424
E-mail:press(末尾に"@rcast.u-tokyo.ac.jp"をつけてください)