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【記者発表】全球海洋モデルにより福島第一原発から放出される トリチウムの濃度分布を予測――放出計画をもとにした最新シミュレーション結果――

○発表のポイント:
◆全球海洋モデルを用いて、福島第一原子力発電所の処理水の放出による海洋中のトリチウム濃度をシミュレーションしたところ、放出場所付近(25km程度)以遠では放出開始前のトリチウム濃度(背景トリチウム濃度)からの増加は検出されないとの結果を得た。
◆東京電力が公表している処理水の放出計画に基づく長期・全球規模のトリチウム移流拡散シミュレーションでは、地球温暖化の影響や高解像度モデルによる海洋渦の輸送効果も考慮した。
◆最新のシミュレーションに基づいた長期的な分布の可能性について、客観的な科学的知見を提供した。

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トリチウム(3H または T と表記)は、水素(1H)の希少な放射性元素です。化学的に水素に類似しているため、環境中での移動性が高く、その99%以上はトリチウム水(HTO)の形で存在しています。これは、ALPS処理水に含まれるトリチウムの形態です。

○概要:
 東京大学 生産技術研究所のコクヮン アレクサンドル 特任助教、芳村 圭 教授と、福島大学 環境放射能研究所 グシエフ マキシム 特任准教授、海洋研究開発機構 小室 芳樹 副主任研究員、国立極地研究所 小野 純 特任准教授は、福島第一原子力発電所(以下、福島第一原発)からの処理水放出による海洋中のトリチウム濃度を、最新の全球海洋モデルを用いて評価し、25km以遠では濃度が検出限界以下にとどまるとの結果を得ました。
 福島第一原発からの処理水海洋放出に伴うトリチウムの挙動について、実際の放出計画を基に、全球海洋大循環モデルCOCO4.9(注1)を用いて2023~2099年までの期間でシミュレーションを実施しました。結果によると、多核種除去設備(以下、ALPS)処理水由来トリチウムによる太平洋海水中の濃度上昇は、放出場所付近(25km以内)以遠では背景トリチウム濃度(自然発生源およびALPS処理水以外の人為的発生源による濃度、注2)0.03~0.2 Bq/Lに対して 0.1 % 程度かそれよりも少ない増加でした。トリチウム濃度の国際安全基準はWHOによれば10,000 Bq/Lとなっています。さらに、地球温暖化による海洋循環の変化や、細かいスケールの海洋渦による拡散促進効果を考慮しても、濃度への影響は限定的でした。これらのシミュレーション結果は、処理水の海洋放出の数十年スケールの動態を理解するのに役立ちます。

○発表者コメント:コクヮン アレクサンドル特任助教の「もしかする未来」
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私は通常、宇宙線と上層大気の相互作用から発生する天然トリチウム(注 3)をモデル化して、水塊の起源、成層圏と対流圏の交換を含む水循環を研究し、地下水の通過時間を推定しています。この研究は、福島原発事故に関連する日本における重要な放射性物質の挙動にも応用できる可能性があることに気づきました。処理水の放出をめぐる国内外の議論を踏まえ、ALPS処理水に由来するトリチウムの長期的な分布に関する客観的な科学的知識を提供できる可能性があります。今後の研究では、大気と海洋の相互作用を考慮し、水循環におけるトリチウムのより包括的な記述を目指します。

○発表内容:
 2011年3月の福島第一原発の事故後、東京電力は、壊れた原子炉建屋への地下水の流入を減らすための対策を取りました。また、原子炉や燃料デブリを冷却するために水を注入し続けています。この水からは、トリチウムを除く放射性物質がALPSによって除去されます。このALPS処理水について、トリチウム濃度が1,500 Bq/L 未満(運用では 700 Bq/L 未満)となるよう薄めたうえで、2023年8月24日から海へ放出が始まり、今後数十年かけて続けられる予定です。放出開始以降、福島第一原発周辺の海水や水生生物に含まれるトリチウムの濃度は継続的にモニタリングされており、その結果は東京電力のウェブサイトなどで公開されています。

 2021年に放出計画が発表されたことを受けて、これまでいくつかの研究が、トリチウムが海水や海洋生物に与える影響を評価するためのシミュレーション(簡易モデルや地域的な海洋モデル)を行ってきました。ただし、当時は放出の詳細が未定だったため、想定に基づいて放出量や期間を設定していました。さらに、これまでの研究では地球温暖化の影響を加味した将来予測も行われていませんでした。そこで私たちは、東京電力が公表しているALPS処理水の放出計画をもとに、全球海洋モデル「COCO4.9」を使って、21世紀を通した全球海洋のトリチウム濃度シミュレーションを行いました。

 その結果、太平洋におけるALPS処理水の放出に関連するトリチウム濃度は約 10-5 Bq/L であり、放出場所付近(25km程度)以遠の背景トリチウム濃度 0.03 〜 0.2 Bq/L に対して1000分の1程度かそれを下回る増加であることがわかりました。これは検出限界以下、つまり、元々の海水中に加わったALPS処理水の有無による違いを測定できないほど小さいことが確認できました(図1a、b、cでは、最大濃度は中部太平洋で3・10-5 Bq/L、米国西海岸付近で10-5 Bq/L、東アジア沿岸付近で4・10-6 Bq/Lでした)。地球温暖化による海洋循環の変化や渦(小規模海流)の影響でトリチウムの拡散が速まる傾向がありますが、トリチウム濃度の値は同程度(つまり、非常に低い)にとどまっています(図1)。このように私たちのシミュレーション結果は、ALPS処理水の海洋放出が長期的にもトリチウム濃度の面では安全基準(WHOによれば10,000Bq/L)を下回ることを示しています。

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図1:ALPS 処理水の放出によるトリチウム濃度の変動をモデル化。
(a) 太平洋中部、(b) 米国西海岸付近、(c) 東アジア沿岸付近。青、オレンジ、灰色の時系列は、それぞれ対照シミュレーション、地球温暖化シミュレーション、高水平解像度シミュレーション。すべての値は検出限界以下。

 また、ALPS処理水放出に伴って行われている海水中トリチウム濃度モニタリングの結果において、福島第一原発から25km以上離れた観測点の海水ではトリチウムの有意な濃度上昇は認められておらず、このシミュレーション結果と矛盾していません。

○発表者・研究者等情報:
東京大学 生産技術研究所
 コクヮン アレクサンドル (CAUQUOIN Alexandre) 特任助教
 芳村 圭 教授

福島大学 環境放射能研究所
 グシエフ マキシム (GUSYEV Maksym) 特任准教授

海洋研究開発機構
 小室 芳樹 副主任研究員

国立極地研究所
 小野 純 特任准教授

○論文情報:
〈雑誌名〉Marine Pollution Bulletin
〈題名〉Ocean general circulation model simulations of anthropogenic tritium releases from the Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant site
〈著者名〉Cauquoin, A. (責任著者), Gusyev, M., Komuro, Y., Ono, J., and Yoshimura, K.
〈DOI〉10.1016/j.marpolbul.2025.118294

○研究助成:
筆頭著者は、日本学術振興会(JSPS)科研費22K20379および環境放射能ネットワークセンター(ERAN)2025年度共同研究員(P-25-22)の支援を受けました。本研究は、JSPS補助金21H05002および22H04938、文部科学省SENTANプログラム(補助金JPMXD0722680395)、ERCA S-20(補助金JPMEERF21S12020)、北極域研究加速プロジェクト(ArCS II、JPMXD1420318865)、JST補助金JPMJSC22E4およびJPMJMI21I6の支援を受けました。

○用語解説:
(注1)COCO4.9
 COCO4.9(Center for Climate System Research Ocean Component Model version 4.9)のような海洋モデルは、海洋の特性や循環を数値的に表現するモデルであり、海洋が気象や気候に与える影響を理解する上で重要な役割を果たしています。COCO4.9は、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)報告書における将来の気候予測に使用されている日本の気候モデルMIROC6(Model for Interdisciplinary Research on Climate、バージョン6)の海洋コンポーネントです。

(注2)背景トリチウム濃度
 水中(本報告では海水中)に含まれる、天然のトリチウムおよび1950~60年代の大気圏内核実験や正常に運転されている原子力施設によって排出された人為的なトリチウムをあわせた含有量のこと。

(注3)天然トリチウム
 宇宙から地球に降り注いだ放射線(宇宙線)が大気中の窒素原子と相互作用して生成されたトリチウムのこと。その大部分はトリチウムを含む水分子HTOとして地球水循環に取り込まれます。

○問い合わせ先:
東京大学 生産技術研究所
特任助教 コクヮン アレクサンドル
Tel:04-7136-6965
E-mail:cauquoin(末尾に"@iis.u-tokyo.ac.jp"をつけてください)

東京大学 生産技術研究所
教授 芳村 圭 (よしむら けい)
Tel:04-7136-6965 
E-mail:kei(末尾に"@iis.u-tokyo.ac.jp"をつけてください)

福島大学 環境放射能研究所
特任准教授 グシエフ マキシム
Tel:024-548-5207
E-mail:r891(末尾に"@ipc.fukushima-u.ac.jp"をつけてください)

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