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6G以降を見据えて[UTokyo-IIS Bulletin Vol.9]

過去の「科学の巨人」から学び、20年後のワイヤレス通信の概念を構築

2019年、韓国と米国が高速通信規格「5G」に対応した携帯通信サービスを開始し、世界で初めて商用化に成功して以来、次世代ネットワークに採用される技術の開発を目指す世界各国の研究者の競争が激化しています。しかし、開発競争が熱気を帯びる中、本所の杉浦 慎哉 准教授は、至って沈着冷静に研究を進めています。使命は、「数十年後に革新的と認められるような携帯通信の技術コンセプトを数式やシミュレーションに基づいて構築すること」だと言い切ります。

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ワイヤレス通信のロードマップ

杉浦准教授は、京都大学工学研究科の修士課程を修了した後、世界有数の自動車メーカーの研究所に研究員として就職しました。そこで出会ったのが、ITを利用して輸送効率や快適性を高める、高度道路交通システム(Intelligent Transport System=ITS)です。ITSの社会実装に不可欠なワイヤレスネットワークの研究に取り組むことになりました。

研究所で学んだのが、「論文を書くことの重要性」でした。その後、同研究所の留学制度を活用し、英国・サウサンプトン大学の博士課程でワイヤレス通信の研究をしましたが、この認識はさらに強まったそうです。

杉浦准教授は博士課程を修了した数年後の2013年、東京農工大学の教員に転身。2018年には、本所に採用されています。杉浦准教授は、「論文があまり重視されない分野もありますが、私はよりアカデミックな成果を出したいと思っています。研究成果は論文で評価されることが基本であると思っていますので」。と、学者としての矜恃を語ってくれました。将来のワイヤレス技術の発展に寄与すべく、高速信号伝送やセキュリティ技術、低消費電力化などについて研究を続けていますが、論文執筆を最優先するスタンスは今も変わっていないそうです。

現在、アカデミア、ビジネス界で競争が激化しているのは、5Gに比べて10倍以上の通信速度を持ち、2030年にも商用化が期待される6Gの規格参入に向けた、有望な技術の探索・開発です。その中で、杉浦准教授は「私の研究する技術は6Gには間に合わないかもしれないので、その後のワイヤレスネットワークに利用する要素技術の技術コンセプトを確立し、できれば特許を取得すること」を目指しています。

では、ワイヤレス通信技術の発展で、20年後はどのような世界になっているのでしょうか。杉浦准教授は、一例として「完全な自動運転」ができる世界と答えてくれました。「事故がなく、スムーズな交通の流れを可能にする自動運転の技術を獲得するには、ワイヤレス技術のさらなる発展が不可欠です。自動車間で位置、速度、目的地などのデータを遅延なくやり取りとりさせるのは、自動車が高信頼低遅延なワイヤレスネットワークにつながっていなければ不可能です」。

温故知新が技術の革新につながる

無線通信の歴史は、1890年代にイタリアの技術者、グリエルモ・マルコーニにより無線通信機が発明されたことで始まりました。以降、「科学の巨人たち」がワイヤレス通信における数々の理論を、数式を用いながら構築してきました。

ただ、その理論を社会実装するための信号処理や大規模集積回路などの技術の到来は、近年を待たなければなりませんでした。そこで、科学の先人たちが残したものの埋もれている理論を学び、社会実装をすることこそワイヤレス技術の革新をもたらすと、杉浦准教授は説きます。「数学に基づく通信理論は現在も変わっていませんので、過去の研究から新しい発想を得ていますが、これが面白い部分です。ただ、昔の巨人の理論の中身を詳細に理解しないと、『(実装に向け)こうしたらいい』というアイディアも出てきませんし、問題が出てきた時の解決策も出てきません」。

例えば、杉浦准教授が取り組む「物理レイヤセキュリティ」技術の理論は、1970年代に米国ベル研究所の情報理論研究者、アーロン・ワイナー氏により先駆的な研究が行われました。ワイナーモデルでは、「アリス」が「ボブ」にノイズがある通信路(チャンネル)で繋がり、「イブ」が盗聴していると仮定すると、アリスとボブ間のチャンネルの容量がアリスとイブ間のチャンネルのそれより大きい場合、暗号を用いなくてもセキュリティが確保されるというものです。近年、物理レイヤセキュリティ理論は、データが通信回線で転送される間に傍受したり、記録したりする「受動的盗聴」のモデルになりうるとして注目を集めています。

杉浦准教授はワイナーモデルをもとに、中継ノード信号処理や事前符号化で伝搬環境を制御する手法を提案し、注目を集めています。しかし、杉浦准教授の仕事は技術コンセプトの確立で終了します。この概念を実際に活用できるかどうかを実証するのは他に委ね、理論的な研究に専念するためです。

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協力中継による物理レイヤセキュリティ

仲間からの情報収集が重要

過去の論文を読むとともに、杉浦准教授が腐心しているのは、現在世界中に点在する共同研究者やサウサンプトン大学の元同僚など、研究者仲間から「次に来る技術」についての情報を収集することです。

この情報ネットワークが活きたのが、電波環境を制御できる、Intelligent Reflecting Surface (IRS)についての情報取得でした。従来の無線通信では、電波環境は変化させられないため、改善が必要な場合は送受信方法の工夫により対応します。一方IRSは、「反射状況を制御できる知能を持った反射板を用い、電波環境の設計を行う」ものです。消費電力が非常に小さく、電波環境を自在に変えることができる「スマート電波環境」を可能にします。6G規格に採用される技術の候補ですが、注目を集める前に「次のホットな技術」として、仲間から情報を得ることができました。杉浦准教授は、IRSを効率的に物理レイヤセキュリティに応用する方式を提案しています。

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ワイヤレスネットワーク環境を向上させるインテリジェントな反射面

技術コンセプトのアイディアは、散歩や入浴中など、ふとした時に浮かぶことが多いとか。アイディアが浮かぶと、研究室でホワイトボードに数式を書きながら、研究室の研究員や学生と繰り返し議論を重ねます。理論ができれば、数値シミュレーションを行い、詳細な性能を確認し、論文を執筆・公開します。

現在までに90篇の論文を発表し、36件の国際会議に参加するなど、論文発表活動は同分野で国内トップクラスです。特許は22件を申請中。また、13の受賞歴があり、最近では、杉浦准教授が多数の送信アンテナを使い、省エネなワイヤレス通信を可能にする方式に取り組み、2022年2月に日本学術振興会賞を受賞しています。

「私が開発した技術、または技術確立に寄与した技術コンセプトが、6Gや7Gのシステムに組み入れられたらハッピーだと思います。ただ、次のシステムに採用する技術を決定する過程は極めて政治的なプロセスなので、私には向いていません。目標は小さく見えるかもしれませんが、将来に大きな波及効果がある研究成果を出し、革新的な技術を生み出すような他の研究に私の論文が引用されることで貢献したいです」。と、あくまでも論文発表を重視していくスタンスで話を結んでくれました。

(記事執筆:(株)J-Proze 森 由美子)

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