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微小な世界の力 [UTokyo-IIS Bulletin Vol.7]

革新的なマイクロニードルを利用した検査やワクチン投与で新型コロナ感染症に立ち向かう

新型コロナ感染症の大流行が2年目に入り、その感染拡大を抑えようと世界中の研究者が新しい技術の開発に取り組んでいます。まさに時間との戦いです。東京大学 生産技術研究所(以下、生研)の金 範埈(キム・ボムジュン)教授も例外ではありません。金教授は自身のマイクロニードルの研究を、安価で簡便、かつ迅速にできる抗原・抗体検査やワクチン投与に応用しようと試みています。

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生研・マイクロナノ学際研究センターの金 範埈 教授は、ソウル大学卒業後の1993年に来日し、生研の修士課程に入って初めて、ミクロの世界に魅了されたと言います。「当時、日本は世界の製造業の中心で、米国に続いてMEMS(メムス、Micro-Electro-Mechanical Systems)と呼ばれる分野の研究を始めていました」。MEMSは、主に半導体のシリコン基板にセンサーやアクチュエーター、電子回路などを集積した微小なデバイスを指します。「修士課程だけ生研に在籍し、当時のほかの韓国人学生と同じように米国に留学する予定でした。でも、研究がとても面白くなり、生研で博士課程まで進むことにしました」

金教授は、フランス国立科学研究センターやオランダのトウェンテ大学で微小なセンサーを研究した後の2000年、助教授として生研に戻りました。微小な分野における長年の研究の成果が、マイクロニードルの開発です。2020年8月には、皮膚に貼るだけで痛みもなく簡便に血糖値を計測できる、画期的なマイクロニードルパッチ型センサーを発表しています。同センサーは、表皮にある細胞間質液(細胞を浸す液体)を採取する、スポンジのような穴がたくさんある多孔質マイクロニードルを使用。外部からエネルギーを与えなくても、毛細管力(細い管や穴の中で表面張力を使い流体を動かす力)を使って体液を採取することができるほか、体の中で溶ける生体分解性の高分子を使用しているので、体内で折れたりしても安全が確保できます。

2020年に新型コロナ感染症が世界に蔓延する中、金教授はなんとかマイクロニードルを感染症対策に使えないかと考えました。折しも、生研の甲斐 知恵子、米田 美佐子 両特任教授が新型コロナ感染症の抗原・抗体検査の診断センサーを開発しており、共同で研究を始めることにしました。同感染症のマイクロニードル検査キットは現在、マウスを使った実験段階で、近日中に結果が出るそうです。また、ワクチン投与用のマイクロニードルの実用化に向けても別途、研究を進めています。

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多孔性マイクロニードルの応用

「蚊に刺されても、後で痒みは出てくるものの、痛くはありません。蚊の尖ったストロー状の口は、直径60マイクロメーターしかないからです。一方、インスリン注射に使われる、最も細い金属製注射針でも直径180マイクロメーターもあり、痛みを伴います」と、金教授は解説します。

これに対して、金教授の研究チームが開発したマイクロニードルの先端は直径50マイクロメーター。長さは0.8ミリメーターで、細胞間質液がある表皮に届くには十分な長さです。細胞間質液の成分の95パーセントは血漿成分と同じで、同チームは、疾病の有無や進行の程度を測るバイオマーカーとしての働きに注目しています。

昨今、マイクロニードルの開発競争は激化していますが、金教授らが開発したマイクロニードルは優位性が高いといいます。前述の糖尿病診断キットは、世界で初めて、生体分解性高分子を用いた多孔性マイクロニードルを紙の基板上に設置しています。マイクロニードルで細胞間質液を採取し、微小流路を通じて紙基盤の反対側にあるセンサーに届け、血糖値を計る仕組みです。グルコースの濃度によってセンサーの発色が変わり、結果は数分で出ます。

製作の課程にも独自色があります。マイクロニードル開発者の約9割が、高分子を固めるために金型を利用するのに対して、金教授が手掛けるマイクロニードルは3Dプリンターで様々な形状に製作できます。また、糖尿病診断キットに使用するマイクロニードルは、皮膚を突き刺し、表皮に届く強度が必要なほか、そのスポンジのような穴は体液を採取するために適正に配置する必要がありますが、これらの課題はすべてクリアされています。

この仕組みは、新型コロナ感染症の検査やワクチン投与に直接応用できます。抗原や抗体は検体に含まれる濃度が低い場合が多く、検知するのが難しいと言われていますが、本開発では、金ナノ粒子や蛍光分子などを使い、数倍の高精度で抗原・抗体検出ができると期待できます。抗体は感染の数週間後に現れるため、抗体検査は、現時点で新型コロナウィルス(SARS-CoV-2)に感染しているかどうかを調べる検査には適していません。この点がPCR検査と大きく違うところです。しかし、免疫学上で重要な「人口に占める感染者の割合」などを調べるには有効で、金教授らは実用化に向け、残った技術的な問題の解決に全力を尽くす予定です。

一方、マイクロニードルを使用したワクチン投与は、さらに大きな変革をもたらすと考えられます。金教授は、「研究が成功すれば、新型コロナ感染症用だけではなく、他のワクチンにも利用できます。痛みもなく、医療従事者でなくても簡単に使用できる上、従来のように冷凍保管・管理をしなくてよいので安価、そんなワクチンを目指しています」と自信を見せます。生研は現在、マイクロニードルを使ったワクチン投与の実用化に向けて医療機関や企業と共同研究を進めていますが、承認を受けるまでには数年かかる見通しだといいます。「完成すれば、アフリカの子どもたちにワクチンを投与するのも非常に簡単になり、大きな社会貢献になると思います」

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マイクロニードルを予防的医学に利用

金教授は、今後もマイクロニードルを病気の予防に利用する研究を続ける予定です。「世界の人口の3分の1は糖尿病予備軍だと言われています。そのうち8割は、自身が予備軍だと気づいてさえいません。マイクロニードルパッチを使えば、いつでも、どこでも利用できるので、継続的に血糖値をモニターすることができます」。同教授はまた、血糖値だけではなく、コレステロールなどの指標も同時に検査できるセンサーの研究も行っています。「マイクロニードルは、現在大きな注目を集める予防的治療に大きな役割を果たすと考えています」

私生活では、日本語、中国語など外国語を習得するのが目標とか。「当初は日本に来る予定ではなかったので、来日した時は全く日本語ができませんでした。ですから、帰宅するとテレビを見て言葉を覚えました。文法が弱いので、退職後は日本語を一から学び直したい」と言いますが、取材には流暢な日本語で応じてくれました。「外国語を学ぶことは、その国の歴史と文化を学ぶことにつながります」と、研究と同様、高い目標を示してくれました。

(記事執筆:(株)J-Proze 森 由美子)

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英文広報誌「UTokyo-IIS Bulletin」Vol. 7を公開しました

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金研究室ウェブサイト
痛くない、マイクロニードルパッチ型センサーを開発

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