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【記者発表】ネットワーク状の相分離構造の新たな成長則を発見

○発表者:
田中 肇(研究当時:東京大学 生産技術研究所 教授/現:東京大学 名誉教授)

○発表のポイント:
◆水と油からなるサラダドレッシングで見られるように、均一に混ざり合った液体が2つの相に相分離する際、その相分離の構造(例えば液滴の大きさ)は時間とともに大きくなる(注1)。これまで、拡散や流れにより物質が運ばれることにより構造が大きくなり、その大きくなり方が3つの基本法則(成長則)で記述できることが知られていた。
◆今回、コロイド分散系(注2)やタンパク質水溶液などにみられる、ネットワーク状の構造形成を伴う相分離に関して、これまで知られていなかった新たな4つ目の成長則を発見した。
◆この知見は、相転移現象を支配する物理法則の理解に貢献するのみならず、液体やソフトマテリアルの相分離の産業応用や、細胞内相分離に代表される生体内における様々なパターンの形成の理解に新たな視点を与えるものと期待される。

○発表概要:
 東京大学 生産技術研究所の田中 肇 教授(研究当時、現:名誉教授/シニア協力員)と舘野 道雄 大学院生(研究当時:東京大学大学院工学系研究科 博士課程3年、現:東京大学 総合文化研究科 特任助教)の研究グループは、コロイド分散系や単純な一成分からなる流体が気体相と液体相に相分離する際にみられる、ネットワーク状の相分離構造の成長過程を、大規模なシミュレーションにより研究した。その結果、二つの相における粒子の密度が大きく異なり、混み合った相と希薄な相の間で粒子の動きが大きく異なる場合、混み合った相で形成されるネットワーク構造の特徴的なサイズLが時間の冪(べき)(注3)で、Lνのように成長すること、さらには、この冪乗則の指数(成長指数)νが、これまで知られていた相分離の指数(1/3または1)とは異なり、ν=1/2となることを発見した。また、ネットワーク構造の成長が粒子濃度の高い相が変形を受けた際にすぐには安定な構造に戻れないということに起因していること(より専門的には、遅い力学的緩和に律速されていること)を明らかにし、この物理的な描像に基づいた理論的な解析により、成長指数ν=1/2を導出することに成功した。
 これまでに相分離構造の成長過程について、3つの古典的な基本法則が知られていた。今回それらに加えて、数十年ぶりに4つめの相分離に関する基本法則を発見したといえる。この新たな成長則は、コロイド分散系、タンパク質溶液、リオトロピック液晶系(注4)などの様々なソフトマターから、単純な一成分液体にわたる幅広い物質群の気体・液体相分離に普遍的に現れることも明らかとなった。相分離現象は、不均一な構造形成をもたらす最も基本的な物理現象であり、ソフトマター材料の製造プロセスや生体内物質の構造形成(自己組織化)においても重要や役割を果たすことが知られている。従って、物性・統計物理の基礎的研究のみならず産業応用、生命科学といった広範な分野にインパクトをもたらすと期待される。
 本成果は2021年2月10日(英国標準時)に「Nature Communications」のオンライン速報版で公開された。

○発表内容:
 相分離とは、同種粒子間の引き合う力が、熱による乱雑化・均一化の効果に打ち勝った時に、系が2つの相に分解する現象を指す。例えば、我々がサラダドレッシングなどで日常的に目にする、水と油などの2成分液体の相分離は、同じ分子種どうしの方が引き合う力が強いために起こり、液・液相分離として広く知られている。相分離構造は、嫌いなもの同士が接触する界面を減らすように時間とともに、大きくなっていく。このような相分離現象は、相転移現象(注5)の中心的な問題として物理学者により盛んに研究されてきた。20世紀後半には、相分離構造がどのようなメカニズムで成長するかに関して、すでに基礎的な理解が得られ、現在では教科書的な知識となっている。例えば、水と油の組成比が90:10など非対称な場合は、少数相は球状の液滴(ドロップレット)を形成する。このようなドロップレットは物質の拡散や、ドロップレット自身の熱運動に伴う衝突・合体などにより成長すると考えられてきた。前者の機構は、蒸発・凝集機構(図1上段左)として、後者の機構はブラウン運動による融合・合体機構(図1上段中央)として知られている。一方、水と油の組成比が50:50に近い対称組成の場合には、それぞれの相がネットワーク状に連結した共連結構造が形成され、この構造は液体の流れにより物質が運ばれることで成長することが知られている(図1上段右)。これらすべての機構において、相分離構造の特徴的なサイズLは、時間tに対して冪乗則(Lν)に従って成長することが知られており、このような冪乗則が現れるのは、相分離構造が形態に関する特徴を保ったまま相似的に大きくなるという、自己相似的成長に起因する(図1下段)。ここで、νは成長指数と呼ばれ、相分離構造の成長機構を特徴づける値であり、上述の3つのメカニズムではそれぞれν=1/3, 1/3, 1となる。
 しかしながら、これらのメカニズムは、臨界温度(相分離が起きるか起きないかのぎりぎりの温度)近傍の相分離を想定しており、現実的な相分離において重要な、臨界温度からある程度離れた温度領域では、従来のメカニズムが必ずしも有効とは言えない。実際、本研究グループは、コロイド分散系、タンパク質溶液、リオトロピック液晶など、幅広いソフトマター系において、「少数相は必ずドロップレット構造を形成する」という相分離の常識に反し、低温では少数相であってもネットワーク状の相分離構造を形成すること(粘弾性相分離現象の一形態)、さらには、成長指数ν=1/2 でネットワーク構造が成長するという、これまでの相分離の常識では説明できない場合があることを報告してきた。しかしながら、この特異な冪乗則の存在は広く認識されておらず、また成長指数ν=1/2の背後にある物理的なメカニズムについても未解明であった。
 今回、東京大学 生産技術研究所の田中 肇 教授(研究当時、現:名誉教授/シニア協力員)と舘野 道雄 大学院生(研究当時:東京大学大学院工学系研究科 博士課程3年、現:東京大学 総合文化研究科 特任助教)の研究グループは、大規模な流体力学シミュレーションにより、コロイド分散系にみられるネットワーク状の相分離構造の成長過程(図2a参照)を詳細に研究した。その結果、成長指数ν=1/2 が二桁以上の時間領域で観測されることを見出すとともに、この指数は、相分離構造の成長過程が、コロイドが濃密に詰まった相の遅い力学的な変形に律速されていることに起因していることを明らかにした。その本質は、水を含んだ土が変形するには、土の中の水が、土の微粒子間の狭い隙間を移動せねばならず、その移動が遅いために変形過程そのものが遅くなるのと同じであり、ネットワーク構造の力学的な緩和が、液体を含んだ土壌の弾性理論の枠組み(多孔質弾性理論)により説明できることを明らかにした(図2b、図2c参照)。また、単成分液体の気体・液体転移に伴うネットワーク状相分離においても、成長指数ν=1/2が現れることを見出し、この指数は上述の多孔質体の弾性変形を、熱伝導を伴う弾性変形(熱弾性)に置き換えることで説明できることを示した(図2b参照)。この普遍性は、多孔質弾性と熱弾性がともに数学的に等価な基礎方程式で記述されることに由来する。
 この研究により発見された、運動の遅い混み合った相の力学的な緩和に支配された成長機構は、拡散や流れといった物質輸送に制御される従来の機構とは全く異なることから、相転移現象をはじめとする基礎物理学の研究に全く新しい視点を与えると考えられる。また、相分離現象は、食品、化粧品、塗料といった産業分野における工業プロセスや、生体内物質の構造形成(自己組織化現象)においても重要な役割を果たす。以上のことから、本研究により見出された知見は基礎・応用の両面で、分野超えたインパクトを与えることが期待される。

 本研究は、文部省科学研究費基盤研究(A)(JP18H03675)、特別推進研究(JP20H05619)、若手研究(JP20K14424)の支援の下に行われた。数値計算の一部は、東京大学物性研究所のSGI ICE XA/UV ハイブリッドシステムを用いて行われた。またシミュレーションの大規模化では、東京大学物性研究所のGPGPU移植支援サービスおよび当研究室の高江恭平氏のサポートを受けた。

参考文献
1 Tanaka, H., Nishikawa, Y. & Koyama, T. Network-forming phase separation of colloidal suspensions. J. Phys.: Condens. Matter 17, L143 (2005); Tateno, M. and Tanaka, H., npj Comput. Mater. 5, 40, (2019).
2 Tanaka, H. & Nishikawa, Y. Viscoelastic phase separation of protein solutions. Phys. Rev. Lett. 95, 078103 (2005).
3 Iwashita, Y. & Tanaka, H. Self-organization in phase separation of a lyotropic liquid crystal into cellular, network and droplet morphologies. Nat. Mater. 5, 147 (2006).
4 Tanaka, H. Viscoelastic phase separation. J. Phys.: Condens. Matter 12, R207 (2000).

○発表雑誌:
雑誌名:「Nature Communications」
論文タイトル: Power-law coarsening in network-forming phase separation governed by mechanical relaxation
著者: Michio Tateno and Hajime Tanaka
DOI番号: 10.1038/s41467-020-20734-8

○問い合わせ先:
東京大学 生産技術研究所
名誉教授/シニア協力員 田中 肇(たなか はじめ)
Tel:03-5452-6125 Fax:03-5452-6126
E-mail:tanaka(末尾に@iis.u-tokyo.ac.jpをつけてください)

○用語解説:
(注1)相分離構造の成長
相分離の結果形成される液滴やネットワーク状の構造の特徴的な大きさの成長は粗大化(coarsening)とも呼ばれる。

(注2)コロイド分散系
ナノ・マイクロメートル程度の大きさの微粒子(コロイド)が溶媒中に分散した系。

(注3)冪(べき)乗則
f(x)=axk の形であらわされる関数を冪関数、冪関数に従う法則を冪乗則と呼ぶ。ここで、ak は定数で kは冪乗則の指数と呼ばれる。

(注4)リオトロピック液晶系
水やその他の極性溶媒と混合した状態で液晶となる系の総称。

(注5)相転移
温度などの変数を変えることにより、磁石が磁性を失ったり、水が気化するなど、巨視的な物性(熱力学状態)が一変する現象は相転移と呼ばれる。

○添付資料:

図1. 2成分液体系における相分離構造の成長則
2成分の組成比が非対称な場合、少数相はドロップレット構造を形成する。Young-Laplace の関係(表面張力と表面曲率の間に成り立つ熱力学的な関係式)により、小さなドロップレットほど大きな圧力を受けるため、小さなドロップレットから分子が脱離し、大きなドロップレットに吸収されることでドロップレットの平均的な半径は、時間とともに大きくなる(Lifshitz-Slyozov-Wagner の蒸発・凝集機構; 上段左)。ドロップレットがある程度密に分布している場合、熱拡散運動(ブラウン運動)によりドロップレット同士が衝突・合体を繰り返すことにより成長する Smoluchowski の衝突・合一機構が支配的になる(上段中央)。2成分の組成非が50:50に近い状況では、両方の相が系全体にわたってネットワーク状に連結した共連結構造が形成される。このネットワークの腕に当たる流体の管は、Plateau-Rayleigh不安定性(円柱状の流体管が、表面張力の効果により周長に対応した特定の波長の攪乱が成長する現象)に伴う流れにより細くなりやがて断裂される。このプロセスが繰り返し起こることでネットワーク構造の成長が進む(Siggiaの流体機構; 上段右)。相分離構造の特徴的なサイズLは、上記のどの場合でも、時間tに対して冪乗則Lν従って成長する。このような冪的な成長則は、相分離構造の特徴サイズが同じになるように倍率を変えてみると、異なる時間の構造であっても統計的には全く同じになるという、自己相似的な成長に由来する(下段)。この冪乗則の指数νは成長指数と呼ばれ、成長機構に応じて異なる値をとる。


図2. 力学緩和に支配されたネットワーク構造の成長メカニズム
a. コロイドの相分離に現れるネットワーク状の構造:ここでは異なる時刻t=15.5, 62.0 における構造を表示している。球体はコロイド粒子を表し粒子の色は手前と奥を見やすくするために付けてある。この系では、相分離構造が表面積の少ない構造になろうとすることで、ネットワークの腕に力学的な力が作用する。最終的にネットワーク構造の断裂を引き起こすことで、構造の粗大化が進む。断裂に伴う力学緩和は非常にゆっくりと進行し、これが相分離の進行速度を決定する。
b. 力学緩和プロセスの概念図:例えば図の上段のように、曲がった棒状の構造がより安定なまっすぐな状態に緩和する過程を考えてみよう。このとき、曲がった構造の赤・青で表示された領域のコロイド密度は、変形過程でそれぞれより疎・密な状態に変化する。つまり、この形態変化はコロイドの局所的な体積分率の変化を伴う。このようなコロイドの体積分率の変化が起きるには、溶媒はコロイド粒子間の狭い隙間を縫うように矢印の方向に移動しなければならない(多孔質弾性)。すなわち、この溶媒の流れは遅いため、それがコロイドの力学緩和プロセスを律速することになる。一方、単純分子液体系の場合は、熱の移動に伴う膨張・収縮が力学緩和を担うため、溶媒の流れの代わりに、熱流が力学緩和を制御する(熱弾性)。
c. 多孔質弾性による力学緩和の様子:図a右のネットワーク構造の断面図の一部が表示されている。円盤はコロイドの断面で、赤・青のコロイドは密度が局所的に膨張・圧縮されていることを示す。背景の色は溶媒の圧力を可視化したもので、圧力の高い赤から低い青の領域へ溶媒は移動する。以上により、コロイドが密に詰まった相の力学緩和が進むことになる。

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