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【記者発表】全世界からの植物由来の蒸発量の把握〜水の同位体比から解き明かされる地球水循環の詳細〜

○発表者
芳村圭(東京大学生産技術研究所/大気海洋研究所(兼務) 准教授)
魏忠旺(現イエール大学ポストドクトラル研究員/元東京大学新領域創成科学研究科自然環境学専攻博士課程)
金元植(国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構農業環境変動研究センター 上級研究員)
小野圭介(国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構農業環境変動研究センター 主任研究員)

○発表のポイント
◆3年間にわたる水田上での観測を経て、植物を経由した蒸散とそれ以外の蒸発を定量的に見積もる手法を開発し、それを全球に適用したところ、蒸散の割合が57±7%と見積もられた。
◆近年、陸上からの蒸散寄与率について、20%~90%とさまざまに異なる値が報告され盛んな議論がなされてきたが、その議論に決着をつける結果。
◆蒸散は、植物が光合成する際に行われるものであり、 炭素循環を正確に見積もる上にも蒸散量の正確な推定は必須。地球温暖化の緩和や適応を考える際の基礎情報として極めて重要になる。

○発表概要
近年の地球温暖化に代表される気候変動をより正確に予測する上で、地球水循環の詳細の理解は必須です。陸上からの蒸発散量のうち、植生を経由する蒸散量と土壌や水面からの蒸発量の割合(蒸散寄与率)は、地球水循環を理解するうえの基本的な事項であり、特に、将来気候の予測や光合成を介した炭素循環に大きな影響を与えるものであるにもかかわらず、未だ十分理解されているとは言えず、理解の向上は喫緊の課題でした。
東京大学生産技術研究所と大気海洋研究所の芳村圭准教授らは、農業・食品産業技術総合研究機構農業環境変動研究センターが管理・観測している試験水田に、2013年より新たな水安定同位体比観測システムを導入し、3年間にわたる観測を行いました。水の安定同位体比(δ18OとδD)は水の相変化に対して敏感であり、相変化を伴う水循環過程の理解向上への利用に適した指標です。その結果に基づき、全球に適用可能な蒸散寄与率推定手法を開発し、全球陸域での蒸散寄与率分布を推定し、その全球平均値として57±7%という値を見積もりました。
 こういった値は、例えば気候モデルの陸面過程をより正しいものにするために大いに重要になります。また、全球陸域での蒸散寄与率についてはここ数年で20%~90%とさまざまな値が発表され、大きな論争となっていたのですが、今回の観測データに基づいた値は、そういった国際的な科学論争に決着をつけるものです。

○発表内容
近年、地球温暖化がますます進み、局所的な豪雨や洪水、干ばつや森林火災などの被害などとしてその影響が顕在化してきています。そんな中、気候変動をコンピュータ上で予測する道具として世界中で気候モデル(注1)が開発されてきました。しかし、気候モデルは完全ではなく、例えば夏季の半乾燥地域では多くの気候モデルが実際よりも高温乾燥傾向を持つなど、たくさんの問題点が指摘されています。そういった問題点の解決策の一つとして、陸域での物理現象、特に陸域でのエネルギーの輸送と水の輸送を結びつける重要な役割を持つ蒸発散過程(注2)をその詳細な内訳にわたって見直すことが重要視されていました。
 一方、水の安定同位体比(δ18OとδD;注3)は、蒸発や凝結など水の相変化に対して敏感であり、相変化を伴う水循環過程の理解向上への利用に適した指標です。特に、植生の気孔から蒸散する水蒸気の同位体比と、土壌や水面から蒸発する水蒸気の同位体比とでは、蒸散・蒸発の元となる水は同じでも、値が異なることがわかっているため、この特徴を利用し蒸散と蒸発の分離が可能です。しかし、観測現場での水蒸気の同位体比測定が困難であったため、高頻度かつ長期的な蒸散寄与率(注4)の推定はこれまで行われてきていませんでした。しかしながら、近年の技術進歩により、レーザー分光技術(注5)を用いて水蒸気の同位体比が高頻度で測れるようになり、地表面から大気に向かって発せられる蒸発散の同位体比が高頻度にでも測れるようになりました。
そういった背景のもと、東京大学の生産技術研究所と大気海洋研究所の芳村圭准教授らは、農業・食品産業技術総合研究機構農業環境変動研究センターの金元植上級研究員らとともに、同センターが管理・観測している試験水田に、新たに開発した水安定同位体比観測システムを2013年より導入し、水蒸気や降水、水田湛水等の同位体比の高頻度連続観測を3年間にわたって行いました(図1)。その結果に基づき水田上での蒸散寄与率を求めたところ、稲の成長とともに蒸散寄与率が上がることを実証しました(図2)。そのデータに加え、世界中のさまざまな場所で求めた蒸散寄与率を示した63のデータをつぶさに調査したところ、葉面積指数(注6)と蒸散寄与率との関係が、6つの植生タイプによる分類ごとに、定量的に表せる事を突き止めました。そうして得られた全球陸域に適用可能な蒸散寄与率モデルと衛星観測から得られた葉面積指数分布を用い、全球陸域での蒸散寄与率分布を推定しました(図3)。その結果、全球平均値として57±7%という値を見積もりました。
全球陸域での蒸散寄与率については、2013年4月にNature誌で、「陸上からの総蒸発に含まれる植生経由の蒸散(蒸散寄与率)は90%に及ぶ」という趣旨の論文が発表されて以来、立て続けに出版された論文で20%~90%とさまざまな値が発表され、大きな論争となっていたのですが、今回の観測データに基づいた値は、そういった論争に決着をつけるものです(図4)。また、現在の一般的な気候モデルでは、植生を介した蒸散とそれ以外の蒸発を分けてシミュレートしていますが、それを検証するための信頼できる観測データが欠落しているという状況でした。本研究で得られたデータによって、気候モデルの陸域の物理過程、特に蒸発散過程をより正しいものにすることが可能となります。それにより、陸域のエネルギー・水輸送過程が改善されるとともに、気候予測の全体的な精度向上及び気候システムの理解が進むことが期待できます。

本研究は、文部科学省 「気候変動リスク情報創生プログラム」および「北極域研究推進プロジェクト」、(独)環境再生保全機構環境研究総合推進費S-12および2-1503、科学研究費補助金26289160・15K13566・15KK0199の支援を受けました。

○発表雑誌
雑誌名:Water Resources Research
論文タイトル:Partitioning of evapotranspiration using high-frequency water vapor isotopic measurement over a rice paddy field
著者: Wei, Z. W., K. Yoshimura, A. Okazaki, W. Kim, Z. F. Liu, and M. Yokoi
DOI番号:10.1002/2014wr016737
アブストラクトURL:http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/2014WR016737/full

雑誌名:Journal of Hydrology
論文タイトル:Understanding the variability of water isotopologues in near-surface atmospheric moisture over a humid subtropical rice paddy in Tsukuba, Japan
著者: Wei, Z. W., K. Yoshimura, A. Okazaki, K. Ono, W. Kim, M. Yokoi, and C. T. Lai
DOI番号:10.1016/j.jhydrol.2015.11.044
アブストラクトURL:http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0022169415009312

雑誌名:Geophysical Research Letters
論文タイトル:Revisiting the contribution of transpiration to global terrestrial evapotranspiration
著者: Wei, Z., K. Yoshimura, L. Wang, D. Miralles, S. Jasechko, and X. Lee
DOI番号:10.1002/2016GL072235
アブストラクトURL:http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/2016GL072235/abstract

○問い合わせ先
東京大学生産技術研究所
准教授 芳村 圭
Tel: 03-5452-6382  Fax: 03-5452-6383
研究室URL:http://hydro.iis.u-tokyo.ac.jp/~kei/lab/

資料

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図1 試験水田に設置した水安定同位体比連続観測システム全景。左側の装置が水蒸気同位体比測定装置で、写真中央付近の水田内に設置された柱から水田上空の水蒸気を装置に送り込み、2秒に一度の間隔で水蒸気同位体比を測定する。右側の装置は降水サンプラーで、降水が検出されたときのみ上部の蓋が開き、一定時間ごとの降水を内蔵した16本のボトルに分けて採取する。採取した降水は実験室に持ち帰って同位体比の分析を行う。


 
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図2 水田上での蒸散寄与率(FT)の時間変化(Wei et al., 2015より転載)。2013年と2014年のデータを使用して、田植え(5月初頭)から収穫(9月上旬)までの変化を示している。青丸が水安定同位体比を用いた手法による推定で、緑三角が渦相関法という別の手法による推定であり、似たような季節進行を示している。


 
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図3 全球陸域での蒸散寄与率の分布(Wei et al., 2017より転載)。砂漠地帯を含む赤い地域では蒸散寄与率が小さく、熱帯雨林や針葉樹林帯を含む緑の地域では大きい。


 
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図4 これまでに発表された全球陸域平均蒸散寄与率と本研究の結果(Wei et al., 2017より転載)。左側にある水色のバーは異なる気候モデルに実装された陸面過程モデルによってシミュレートされた値、中ほどの緑色のバーは本研究とは異なる手法であるが水同位体比情報を用いた推定された値、その隣のオレンジ色のバーは衛星観測から推定された値、右側の赤いバーは蒸散寄与率モデル作成の参考にした64の文献の単純平均値、最後に紫色のバーが本研究によって得られた最終推定値。


用語解説


(注1)気候モデル

気候の構成要素である大気・海洋・陸等での大規模な物理現象を、コンピュータ上で再現するために定式化した計算プログラム。例えば温室効果ガスがこのまま増え続けると21世紀後半の気温分布はどのようなものになるのかといった将来予測に用いられるほか、気候がどのようにして決まっていたり変化したりしているのか、といったメカニズムの理解にも用いられる。

(注2)蒸発散過程
土壌や水面からの蒸発と、植生の気孔からの蒸散を合わせたものが蒸発散であり、それらの蒸発や蒸散に至るための水やエネルギーの移動・交換、及び土壌・植生等の状態変化の道筋を表したものが蒸発散過程である。液体や固体の状態の水が水蒸気の状態になる際に必要なエネルギーのことを潜熱と呼ぶが、蒸発散に必要なエネルギーと潜熱は等しい。

(注3)水の安定同位体比
水分子を構成する水素原子と酸素原子にはいくつかの重い安定同位体(2Hや18Oなど)があるため、それらによって一部が構成された水分子(H218Oなど)が僅かであるが存在し、慣用的に「重い水」と呼ばれている。水の安定同位体比とは、そういった「重い水」の存在比のことを指し、具体的には水素同位体比か酸素同位体比のどちらかあるいは両方を示す。通常「重い水」は気体よりも液体に、液体よりも固体に含まれやすくなるため、水の安定同位体比は、その水がそこにたどり着くまでに経験した相変化の指標となりうる。

(注4)蒸散寄与率
ある面積を持った地表面からの蒸発散量全体に対する、植生の気孔から発せられる蒸散量の割合のこと。その地表面にある土壌や湛水からの蒸発は大気の状態(気温や乾燥度、風速など)と土壌表面の湿り気等によって決まる空気力学的な物理現象であるが、蒸散はそれに加えて光合成を伴う生物学的な植物生理現象を含むため、扱いがより複雑である。

(注5)レーザー分光技術
物質によって吸収・放出する電磁波が異なる特性を利用してどんな物質がどれくらい含まれているかを計測することを分光と呼ぶ。「重い水」と呼ばれるH218OやHDOにも、H2Oとは異なる電磁波吸収特性があるため、レーザーで作り出した電磁波から特定の波長を持つ電磁波がどの程度吸収されているかを測ることで、酸素同位体比・水素同位体比が計測できる。これまで用いていた一般的な質量分析技術では、水蒸気の同位体比を測る際に、大量の水蒸気を一度氷結させて採取したのちに計測という手順を取っていたが、レーザー分光計ではごくわずかな水蒸気を直接計測できるようになったため、計測頻度と精度が飛躍的に向上した。

(注6)葉面積指数
ある単位面積を持つ地表面に対して、そこに生えている植物体が持つ葉全ての総面積がどれくらいかを示した値。日本においてよく管理された水田では、最大で4~5程度の値をとることが多い。

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