概要
京都大学大学院 工学研究科 材料化学専攻 ガラス基礎科学講座の増野 敦信 特定教授、東京大学 生産技術研究所の井上博之 教授、東北大学 未踏スケールデータアナリティクスセンターの志賀 元紀 教授らの共同研究グループは、原子配列に秩序が無いと思われていたガラスに潜む秩序を抽出し、可視化することに成功しました。
私たちの日常生活にガラス製品は欠かせないものとなっていますが、それらのガラスに含まれる原子は、緩やかな不規則ネットワーク構造を形成しています。私たちはこれまでに無容器法を用いることで、ネットワークを形成しないような組成で、優れた機能をもつガラスの合成に成功してきました。従来のガラス科学の考え方では、これらは「変な」ガラスですが、今回私たちが新たに開発した可視化手法で解析したところ、結晶のように秩序性の高い原子配列であることがわかりました。非常に歪んで乱れた原子配列と思われていた「変な」ガラスが、実は一般的なガラスよりもずっと結晶に近い「高秩序ガラス」だったのです。結晶の原子配列から少しずれたことが、ガラス形成を促し、機能発現をもたらしたと考えられます。この発見は、ガラスの新しい形成メカニズムの理解に貢献するとともに、さらなる高機能ガラスの開発に新たな道を開きます。
本成果は、2024年7月23日(現地時間)に国際学術誌「Scripta Materialia」にオンライン掲載されました。
無容器法で合成したガラスには、ネットワークを形成する物質は含まれていない。原子配列モデルからは、原子の並びが乱れていることしかわからないが、還元原子配列マップを用いると、内在する高い秩序性が見えてくる。
1.背景
教科書では原子が規則正しく並んでいる固体を結晶、そうでないものをガラスと分けています。私たちの生活に欠かせない窓ガラスやスマートフォンの画面など、日常的に使われているガラスには、「緩やかな不規則ネットワーク(注1)」と呼ばれる構造があります。これは特定の酸化物(例えば、SiO2やB2O3)だけが作り出せるもので、一般的なガラスは例外なくこれらネットワーク形成物質を多く含んでいます。これに対して私たちは、ネットワーク形成物質を含んでおらず、通常の方法ではガラス化しないような組成でも、無容器法(注2)を用いることで様々な機能性ガラスが合成できることを示してきました。例えば、超高屈折率ガラス、超高弾性率ガラス、硬くて割れにくいガラス、巨大磁気光学ガラスなどで、応用の観点からも注目を集めています。これらのガラスは組成や機能性だけでなく、その原子配列にも大きな興味が寄せられています。実験と理論を併用して進めたこれまでの構造解析からは、これらのガラスでは非常に歪んだ局所構造ユニットが密に詰まっており、そのため従来型のネットワークはほとんど発達していない、と結論づけられました。一般的なガラスにすらなれない「変な」ガラス、と見なされていました。
2.研究手法・成果
今回私たちは、そうした「変な」ガラスの中で特に、「超高屈折率ガラス」として知られるBaTi2O5ガラスに注目しました。これまでの研究でこのガラスは、一般的なガラスよりも歪んで密に詰まった原子配列を持っていることがわかっていましたが、さらに詳細な調査を行ったところ、実は結晶のように高い秩序を持っていることが判明しました。新たに開発した、原子配列の秩序性を可視化する手法(還元原子配列(RAA)マップ)を用いることで、ガラス中のいずれの原子を中心としても、その周囲約5オングストロームの範囲にある原子は、最密充填配列(注3)に近い位置にいることがわかりました(図1)。このことから、BaTi2O5がネットワーク形成物質も無いのにガラス化したのは、物質全体を通して最密充填配列から各原子がほんの少しずつずれたため、と考えることができます。このような原子の並びは、一般的なガラスで見られる不規則ネットワーク構造とは全く異なっています。原子配列の秩序性という点では、結晶と一般的なガラスとの中間に位置しているとも見なせます。そして、無容器法で合成可能な他の高機能ガラスも同様の原子配列を有していることがわかってきました。従来のガラスとは一線を画す、「高秩序ガラス」とでも呼ぶべき新しい材料群が存在し、その高い秩序性を起源として,一般的なガラスとも結晶とも異なる興味深い特性を発現しているのです。
図1.(左)無容器法で合成したガラス。(中)分子動力学シミュレーションによって作製したガラスの原子配列モデル。(右)原子配列モデルの座標から計算した還元原子配列マップ。中心からおよそ5 Åの範囲にスポット状の塊が最密充填配列に近い位置に整列しているのが見える。
3.波及効果、今後の予定
今回開発した手法により、秩序のないガラスに関して「原子配列の秩序度」という概念を定量化することができました。無容器法で合成した様々な高機能ガラスで見られる構造の特異性は、これまで個別に議論されていましたが、還元原子配列マップを用いることで、定量的に相互比較し,原子配列と物性の相関を探ることができます。さらに、数値化された秩序度を使って、ガラスの秩序性をどこまで高められるかを予測することも可能になります。今後、原子配列を精密に操作してガラスの特性を向上させようという、新たな道が開かれるでしょう。
無容器法で合成した高機能ガラスに対しては、もはやネットワークはガラス形成の前提条件ではなく、従来のガラス設計指針は適用できませんでした。これまで私たちは10を超える組成系で「変な」ガラスを見つけていましたので、これらのガラスは従来型ガラスの例外ではなく、何らかの普遍的なガラス形成メカニズムがあるのではと考えていました。今回の成果は、ガラス形成において物質全体に広がる「わずかなずれ」が重要な役割を果たすことを示しており、ガラス科学に革新をもたらすものです。可視化された「原子配列に潜む秩序」は、ガラスとは結晶ではないもの、とひとまとめにしていた教科書的な常識からガラスを解き放つことになるでしょう。
4.研究プロジェクトについて
本成果は以下のプロジェクトによる支援を受けて行われました。
・JSPS科学研究費 挑戦的研究(萌芽)「ガラス原子配列への秩序度の導入とその制御」
(JP21K18800研究代表:増野 敦信)
・JSPS科学研究費 基盤研究(B)「ネットワーク断片化がもたらす酸化物ガラスの特異な物性と構造」
(JP20H02429研究代表:増野 敦信)
・JSPS科学研究費 学術変革領域研究(A)「超秩序構造が創造する物性科学」(領域代表:林 好一)
計画班A01-2「社会実装に向けた超秩序構造物質 ライブラリーに基づく合成プロセス開発」
(JP20H05880研究代表:脇原 徹)
計画班A03-2「数理情報科学に基づく超秩序構造の網羅的解析」
(JP20H05884研究代表:志賀 元紀)
<用語解説>
1.不規則ネットワーク:SiO2を主成分とする一般的なガラスの場合、SiO4四面体が酸素を介して頂点共有したネットワーク構造を形成している(図2)。
図2.シリカガラスの局所構造。SiO4四面体が頂点を共有してネットワークを形成している。
2.無容器法:試料を浮遊させた状態で、レーザー等の非接触加熱により溶融・凝固させる手法。容器との接触界面が無いので、通常の溶融急冷法では冷却時にしばしば生じる容器壁面からの不均一核生成が極限まで抑制される。これにより、従来ガラス化しないと思われていた物質でもガラス化させることが可能となる。無容器法の装置として、私たちは図3に示すガス浮遊炉を用いている。ノズル上にセットした試料を下から吹き付けるガス流によって浮遊させ、CO2レーザーで溶融する自作の装置。到達温度に上限は無く、全ての酸化物の溶融が可能。
図3.ガス浮遊炉の模式図と、浮遊融液が冷却してガラス化する様子の写真。
3.最密充填配列:球体を最も密に詰めた並べ方。二次元では一通りしか存在しない(図4)。3次元の場合は、二次元最密充填配列を積層させることになり、六方最密充填配列と立方最密充填配列の2通り存在する。
図4.2次元最密充填配列。
<研究者のコメント>
私たちは無容器法という特殊な手法を使って、数多くの高機能ガラスを合成してきました。組成や構造の点で、これらは「変な」ガラスと見られてきましたが、私たちは、これらが本当に変なだけなのだろうか、本来の姿は違うのではないだろうか、と考えてきました。今回開発した手法で改めて原子配列を見直すと、私たちが作ったガラスが実は、「じゃない方」ではなく、新しいタイプのガラスの代表であることがわかりました。これからも無容器法によって、様々な革新的機能を有する高秩序ガラスの開発を行っていきます。(増野 敦信)
<論文タイトルと著者>
〈雑誌名〉Scripta Materialia
〈題名〉Nearly Close-Packed Atomic Arrangements in BaTi2O5 Glass(BaTi2O5ガラス中の擬最密充填原子配列)
〈著者名〉Atsunobu Masuno, Hiroyuki Inoue, Motoki Shiga, Yasuhiro Watanabe
〈DOI〉10.1016/j.scriptamat.2024.116271
○問い合わせ先:
〈研究に関するお問い合わせ先〉
京都大学大学院 工学研究科 材料化学専攻 ガラス基礎科学講座
特定教授 増野 敦信(ますの あつのぶ)
Tel:075-383-3079、075-383-3080
E-mail:masuno.atsunobu.3k(末尾に"@kyoto-u.ac.jp"をつけてください)
東京大学 生産技術研究所
教授 井上 博之(いのうえ ひろゆき)
Tel:03-5452-6315
E-mail:inoue(末尾に"@iis.u-tokyo.ac.jp"をつけてください)
東北大学 未踏スケールデータアナリティクスセンター
東北大学大学院 情報科学研究科
教授 志賀 元紀(しが もとき)
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