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【記者発表】高性能ガラスシミュレーションモデルは現実を反映するか ――低温液体で現れた、予期せぬ構造化――

○発表のポイント:
◆シミュレーションでガラス転移の性質に迫るために、近年、特別なモデル液体が開発され、粒子交換を許すモンテカルロ法との組み合わせで、結晶化や相分離を伴わずにとてつもなく低温の液体状態に迫ることが可能となった。しかしながら、その状態がどのような状態であるかは未解明であった。
◆その一つのモデルについて詳細に構造を調べたところ、低温の液体に通常の解析法では、見ることができないエキゾチックな構造が隠れていることを発見した。
◆この発見は、新たに開発された方法により得られた低温液体が、現実の物質のガラス液体のモデルとなり得るかについて大きな疑問を投げかけたといえる。

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モデル液体の低温でみられたエキゾチックな構造

○発表概要:
 東京大学 先端科学技術研究センターの田中 肇 シニアプログラムアドバイザー(特任研究員/東京大学名誉教授、研究開始当時:東京大学生産技術研究所 教授)、及び中国科学技術大学 トン フア 准教授(研究開始当時:生産技術研究所 特任研究員)は、結晶化や相分離を起こさないように、いろいろな大きさの粒子を組み合わせることで最近開発された並外れたガラス形成能力を持つ2次元液体モデルと、粒子サイズの入れ替えを許すモンテカルロ法(注1)の組み合わせにより、この2次元液体モデルの低温液体状態の性質を詳細に調べました。その結果、ガラス転移(注2)現象解明の切り札となり得るとして、最近大きな注目を集めているこのモデル液体は、低温で特殊な秩序を持つことが明らかになり、必ずしも典型的な液体とは言えないことを発見しました。
 上述の粒子の大きさに特殊な分布を持たせたガラス形成液体と粒子交換を許すモンテカルロ法の組み合わせは、その開発以来、数値シミュレーションによりガラス転移現象を研究するための革新的な方法として、広く用いられるようになりました。通常の液体は、温度をゆっくり冷やしていくと結晶化するか、他成分混合系の場合には相分離してしまうため、低温状態で平衡化することは困難です。上記の方法は、この問題を解決するために最適化された粒子サイズ分布を持ち、大きさの異なる粒子がより強く、相互作用するように設計された液体モデルです。実際にこのモデルを用いて粒子交換を許すモンテカルロ法を用いると極めて低温まで液体の状態を保ったまま平衡化(注3)することが可能であることが示されていました。その結果、極低温での乱雑な液体状態に直接迫ることを可能にしたモデルとして大きな注目を集めてきました。しかしながら、結晶化と相分離という通常起きる現象を無理やり封じ込めたこの系が、一般的な液体のモデルになりえるのかは自明ではありません。
 そこで、このモデル液体の低温状態の構造を詳細に調べたところ、通常の液体構造解析手法である、構造因子(注4)や動径分布関数(注5)では検出することができないエキゾチックな組成についての秩序が存在することを発見しました。具体的には、低温において小さい粒子と大きい粒子の結合によって形成されるネットワーク状の構造と、そのネットワークの穴に存在する中ぐらいの粒子によって形成されるパッチが共存する、「異質な組成秩序」を持つことが明らかになりました(図1参照)。このパッチは、図1からわかるように最近接粒子数が6の粒子からなり、図2に示したように、温度低下に伴うこのパッチ構造の発達を反映して、波数k=3の付近のピークの成長が見られます。このようなエキゾチックな組成秩序は、液体の構造変化のダイナミクスにも異常な影響を与えることも明らかになりました。この研究は、ガラス転移を理解する上で、型破りな構造秩序が特殊な役割を果たしていることを示唆しており、このモデル液体の挙動を典型的なガラス形成液体の挙動としてみなしていいかについて、根本的な疑問を投げかけています。

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図1:モデル液体の低温でみられたエキゾチックな構造。
は粒子のまわりの最近接粒子数を示す。大きな赤い粒子と小さな青い粒子の形成するネットワーク構造の穴の中に中ぐらいの粒子のパッチが存在するという特異な構造が明らかとなった。

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図2:最近接粒子数が6の粒子の構造因子。
高温(赤)から低温(青)に行くにつれ、最近接粒子数が6の粒子のパッチ形成(図1参照)を反映して、波数kが3付近のピークが成長していることがわかる。

 本成果は、2023年8月7日(英国夏時間)に「Nature Communications」のオンライン速報版で公開されました。

○発表内容:
 液体を急速に冷却すると、液体は準安定な過冷却状態になり、最終的に機械的な剛性と乱雑な構造を併せ持つ非晶質固体、すなわち「ガラス」に固化します。このガラス転移現象は、明確な構造変化を伴わない液体から固体への転移のユニークな例であり、長年にわたる多大な努力にもかかわらず、その基本的な理解は未だなされていません。
 実験的に観測されたガラス転移は、液体の構造変化が実験時間スケールより遅くなる現象として説明できますが、その根底に熱力学的相転移(注6)が存在するかどうかは、概念的に興味深い問題として注目されてきました。この問題の探求には、低温の液体の挙動に迫る必要があります。
 全ての単純な物質は冷却により結晶化しますが、これは低温状態の物質の宿命として広く知られてきました。したがって、ガラス転移問題を研究するためには、結晶化に対するフラストレーションを系に導入して、優れたガラス形成能力、すなわち冷却時に無秩序な液体状態を維持する能力を実現しなければなりません。コンピュータシミュレーションの場合の一般的な戦略は、異なる大きさの粒子の混合物を使用することです。過去数十年間、二成分混合系などのモデルガラス形成体の計算科学的研究に基づいて、ガラス転移を理解するための貴重な進歩がなされました。
 しかし、コンピュータ技術やシミュレーションアルゴリズムの発展により、より深い過冷却に到達できるようになったことで、液体の不安定性に直面するようになりました。相分離は、直接的な結晶化以外にも、二成分混合系などにおける異なる種類の粒子の脱混合や分別として進行することが、これらの標準モデルでそれぞれ観察されています。したがって、このような結晶化や相分離に向かう不安定性が、低温平衡ガラス状態へのアクセス能力に厳しい制限を与え、ガラス転移の性質の解明を阻んできたといえます。
 最近、この状況を打破する驚くべきブレークスルー、すなわち、結晶化や相分離を回避できる驚異的なガラス形成能力を持つ新規モデルガラス形成液体の開発により、理想ガラス転移の近傍に近づくことができるようになりました。しかし、無秩序な液体状態は、一般に何らかの秩序化によって自由エネルギーが低下する傾向があります。したがって、他のタイプの構造秩序が低温で生まれていないかどうか、そして、それが過冷却液体とガラス転移の物理学においてどのような役割を果たすのか、という根本的な疑問が残ります。
 そこで、このモデルガラス形成液体のコンピュータシミュレーションによって、上記の問題について研究を行いました。実空間観察と定量的な構造解析により、この系が低温で「エキゾチックな組成秩序」を示し、最大・最小粒子が形成するネットワーク状構造と、中ぐらいのサイズの粒子による細孔内パッチが共存していることを明らかにしました(図1参照)。このパッチは、図1からわかるように最近接粒子数が6の粒子からなり、図2に示したように、温度低下に伴うこのパッチ構造の発達を反映して、波数k=3の付近のピークの成長が見られます。このような「エキゾチックな組成秩序」は、従来の「構造」の特徴、例えば、結晶化や相分離を識別するのに有効な構造因子では観察することはできません。さらに、この秩序化は熱力学的なサインを伴いません。そのため、これまでの研究では見逃されてきました。さらに、この「エキゾチックな組成秩序」の出現が、液体の構造変化のタイムスケールに直接影響を与えることを発見しました。
 本研究の成果は、液体のガラス転移の起源に迫る際に、典型的な液体とはどのようなものか、さらに、結晶化や相分離といった極めて本質的な自由エネルギー(注7)低下の機構を人為的に阻止したときに、液体にどのような特異性が出現するのかといった基本的な問題を提起するのみならず、コンピュータシミュレーションにより低温ガラス転移に迫るためのあらたな知見を提供するものと期待されます。

○発表者:
東京大学
  先端科学技術研究センター
    田中 肇 (シニアプログラムアドバイザー(特任研究員)/東京大学名誉教授)
    〈研究開始当時:東京大学 生産技術研究所(教授)〉

  生産技術研究所
    トン フア(研究開始当時:特任研究員)
    〈現:中国科学技術大学 准教授〉

○論文情報:
〈雑誌〉Nature Communications(8月7日)
〈題名〉Emerging exotic compositional order on approaching low-temperature equilibrium glasses
〈著者〉Hua Tong*and Hajime Tanaka* *責任著者
〈DOI〉 10.1038/s41467-023-40290-1

○研究助成:
本研究は、文部省科学研究費 特別推進研究(JP20H05619)の支援により実施されました。

○用語解説:
(注1)モンテカルロ法
 モンテカルロ法は確率的なサンプリングを使用して数値計算や統計解析を行う手法。

(注2)ガラス転移
 液体が、結晶構造をとらずに、流動性を持たない固体的な状態になる現象。ガラスは、見かけは固体と同じだが、液体と同じように不規則な粒子構造を持つのが特徴。

(注3)平衡化
 初めは不安定な状態であるシステムが、時間の経過とともにバランスを取り、最終的に安定な状態に達する過程のこと。

(注4)構造因子
 構造因子は、物質の内部の原子や分子の配置の特徴を数値化する指標です。物質の構造を理解するために使用される。

(注5)動径分布関数
 ある粒子の周りに他の分子がどのように分布しているかを示す関数。具体的には、ある粒子を中心として周囲の分子がどれだけ近くに存在するかを表現する。

(注6)熱力学的相転移
 物質が一定の条件下で異なる状態に変化する現象。例えば、氷が水に、または水が蒸気に変わるような変化が熱力学的相転移の一例である。

(注7)自由エネルギー
 自由エネルギーは、系の状態の安定性や平衡の方向を予測するために重要な概念で、自由エネルギーが低いほど、系はより安定な状態になり、自由エネルギーが高いほど、系はより不安定な状態になる。自由エネルギーはポテンシャルエネルギーとエントロピーの変化の両方に関係する。

○問い合わせ先:
東京大学名誉教授
東京大学先端科学技術研究センター
シニアプログラムアドバイザー(特任研究員)
田中 肇(たなか はじめ)
Tel:03-5452-6125
E-mail:tanaka(末尾に"@iis.u-tokyo.ac.jp"をつけてください)

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