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【共同発表】令和2年7月熊本豪雨をもたらした水蒸気の起源と履歴を解明~降水の同位体比から紐解く「線状降水帯」の新しい描像~(発表主体:九州大学)

○ポイント:
◆令和2年7月豪雨(以下「熊本豪雨」)では、線状降水帯の発生と長時間の持続が甚大な災害をもたらした。しかし、線状降水帯の発生・維持のメカニズムは、依然として十分に解明されていない。そのメカニズムを紐解くには、従来とは全く異なる観点でのアプローチが求められる。
◆本研究では、水の同位体分別の過程を組み込んだ同位体領域気象モデル(IsoRSM)による数値シミュレーションから、線状降水帯で凝結する多量の水蒸気の流入過程とその履歴を明らかにすることで、線状降水帯の新しい描像を得ることに成功した。
◆水蒸気の動態を特徴づける同位体分別の情報から、線状降水帯の上流側(大陸上)の水循環過程の予測精度がないと、線状降水帯の降水量予測の精度向上も困難であることが示唆された。また、本研究の手法は、予測精度の検証への活用も期待される。

○概要:
 梅雨期の九州地方では、線状降水帯の発生と持続によって甚大な豪雨災害が生じています。ところが、線状降水帯予測の現状は不十分であり、その理由として線状降水帯自体の発生・維持のメカニズムが依然として解明されていないことにあります。本研究で、九州大学大学院理学研究院の李肖陽助教、川村隆一教授、熊本大学大学院先端科学研究部の一柳錦平准教授、東京大学生産技術研究所の芳村圭教授の研究グループは、水の同位体分別の過程を組み込んだ同位体領域気象モデル(IsoRSM)1)を用いた高解像度数値シミュレーションによって、熊本豪雨の要因となった線状降水帯の再現実験を行い、同位体分別の情報から線状降水帯形成の新しい描像を得ることに成功しました。
 熊本豪雨の線状降水帯は主に、湿潤アジアモンスーン地域から長距離にわたって輸送され自由大気経由で流入した水蒸気(アジアモンスーン起源)と太平洋高気圧の西縁に沿って大気境界層経由で流入した水蒸気(太平洋高気圧起源)の凝結によって形成・維持されていることがわかりました。前者は全体の凝結量の57%、後者は32%を占め、この熊本豪雨をもたらした線状降水帯の構成要素の89%を説明することができます。また線状降水帯の北側を構成するアジアモンスーン起源の水素同位体比は低くd-excess2)は高い一方、南側を構成する太平洋高気圧起源の水素同位体比は高くd-excessは低いという非対称構造が明らかになりました。対照的な同位体情報から線状降水帯の特異な水蒸気の履歴(history)が判明しました。これらの知見は豪雨被害を軽減するための線状降水帯の降水量予測の精度向上に資することが期待されます。特に大陸上の複雑な水循環過程がアジアモンスーン起源の水蒸気の流入量と流入高度を左右するため、その過程を詳しく調べていく必要があります。
 本研究成果は、2023年3月1日(水)に国際学術誌「Atmospheric Research」にオンライン掲載(早期公開)されました。また本研究はJSPS科研費補助金(JP19H05696, JP20H00289)の助成を受けました。

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(a) 2020年7月4日5時の気象衛星ひまわり8号の赤外画像。(b) 同位体領域気象モデルで再現された線状降水帯(同時刻に対応)。衛星画像に見られるクラウドクラスター(対流系システム)の中では線状降水帯が発達している。

【研究の背景と経緯】
 近年、梅雨期の7月において、平成29年 7月九州北部豪雨、平成30年7月西日本豪雨、令和2年7月熊本豪雨に代表されるような甚大な豪雨災害が発生しています。また、九州南部の梅雨降水量の年々変動は今世紀初頭から不安定期に移行しており(Fujiwara and Kawamura, 2022)、この気候レジームの遷移が近年の豪雨頻発の背景にあることが指摘されています。
 個々の積乱雲が発生・消滅を繰り返して入れ替わりながら、積乱雲の集団として線状に組織化され、その降水システムが長時間にわたって停滞する(地理的に固定される)現象、いわゆる線状降水帯が発生すると、特に甚大な災害がもたらされます。線状降水帯発生の引き金となるのは多量の水蒸気の流入ですが、その水蒸気の動態に関する情報が圧倒的に不足していることが、線状降水帯の発生・維持のメカニズムが依然として十分に解明されていない主な要因の一つになっています。
 梅雨期の豪雨災害の減災・防災の観点から、線状降水帯の予測精度を向上させていくためには、予報モデルの高解像度化などの数値予報技術の高度化だけではなく、線状降水帯の形成メカニズムの全容を明らかにすることも必須であり、両者は車の両輪とも言えます。そのためには、従来とは全く異なる観点でのアプローチがメカニズム解明へのブレイクスルーになることが期待されます。

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図1 水蒸気の起源となる海域(または陸域)を、アジアモンスーン起源(インド洋・南シナ海・アジア大陸)、太平洋高気圧起源(フィリピン海・太平洋)、近海起源(東シナ海・黒潮・日本海)の三つのグループに大別している。図中の等値線は海面更正気圧、矢印は鉛直積算水蒸気フラックスを示す。

【研究の内容と成果】
 本研究では、上記の背景と経緯を踏まえて、線状降水帯を形成する水蒸気がどこから来て、どのような過程を経てきたのか、その水蒸気の起源と履歴を明らかにすることで、「線状降水帯」の新しい描像を得ることを主な目的としました。具体的には、水蒸気の流入経路、流入高度、流入量、凝結量の情報だけではなく、降水の同位体比3)から水蒸気の履歴(history)も明らかにすることで、降水量予測の改善へと繋がることを期待して詳細に調査をしました。研究対象としたのは、球磨川流域で甚大な被害をもたらした熊本豪雨です。九州地方への多量の水蒸気流入によって豪雨災害がもたらされたという点では、平成24年7月九州北部豪雨と並んで典型的な豪雨事例です。また、水の同位体分別の過程を組み込んだ同位体領域気象モデル(IsoRSM)を用いた水平解像度3 kmの高解像度シミュレーションを実施し、熊本豪雨をもたらした線状降水帯の再現を試みました。主な結果は以下の通りです。

(i) 熊本豪雨の線状降水帯は、主に湿潤アジアモンスーン地域から長距離にわたって輸送され自由大気経由(極大高度は900-800hPa付近)で流入した水蒸気(アジアモンスーン起源)と太平洋高気圧の西縁に沿って(900hPa以下の)大気境界層4)経由で流入した水蒸気(太平洋高気圧起源)の凝結によって形成・維持されていることがわかりました(図1及び図2参照)。7月3日15時から7月4日5時までの期間平均では、前者は全体の凝結量の57%、後者は32%を占め、この熊本豪雨をもたらした線状降水帯の構成要素の89%を説明することができます。対照的に近海起源は、10%未満に過ぎません。全体に占める割合が10%未満であることは意外に思われるかもしれませんが、黒潮の影響を除去した海面水温改変実験では、熊本豪雨の線状降水帯の期間降水量が9~11%程度減少するという報告があり(Kawano and Kawamura, 2022)、大きな矛盾はありません。
(ii) アジアモンスーン起源と太平洋高気圧起源の水蒸気がマージして線状降水帯が形成されていますが、両起源の水の同位体情報から線状降水帯の特異な水蒸気の履歴(history)が明らかになりました。具体的には、線状降水帯の北側を構成するアジアモンスーン起源の水素同位体比は低く、d-excessは高い一方、南側を構成する太平洋高気圧起源の水素同位体比は高くd-excessは低いという南北の非対称構造(図3)が初めて見出されました。
(iii) アジアモンスーン起源の水蒸気は、長距離にわたって輸送される過程で、活発な降水活動によるrainout効果(水蒸気の凝結による除去の効果)で主に水素同位体比は低下し、below-cloud evaporation効果(雲底下の雨滴蒸発による効果)でd-excessが上昇傾向になっている履歴が明らかになりました。対照的に、太平洋高気圧起源の水蒸気は、降水活動が抑制されている高気圧圏内の境界層内に閉じ込められているため、起源海域での蒸発時の同位体情報が比較的保存されていることが明らかになりました。

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図2 線状降水帯発生前後の九州地方で領域平均された各物理量の時間的推移。(a)降水量、水蒸気フラックス収束、地表面蒸発。(b)起源海域(または陸域)毎の可降水量。(c) 起源海域(または陸域)毎の凝結量。(d)水素同位体比、d-excess。

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図3 (a)線状降水帯内の水素同位体比の空間分布。(b) d-excessの空間分布。単位は‰

【今後の展開】
 熊本豪雨の線状降水帯を形成・維持している水蒸気の流入経路、流入高度、流入量、凝結量が同定され、水蒸気の履歴情報も得ることができました。本研究の結果から、線状降水帯の予測に関して様々な有用な情報が得られています。太平洋高気圧起源の水蒸気は、大気境界層経由で流入してくるため、境界層内の水蒸気量の正確な見積もりが特に重要です。一方、アジアモンスーン起源の水蒸気は輸送過程において降水活動に伴うrainoutとbelow-cloud evaporationを繰り返して900-800hPa付近から流入してくるため、線状降水帯の上流側に位置する大陸上の水循環過程の正確な把握が必要になってきます。複雑な水循環過程が九州地方への水蒸気の流入量や流入高度に大きく影響するからです。
 また、以上の知見は線状降水帯の予測精度の検証への活用も期待されます。たとえば、線状降水帯の予測に位置ずれが生じたり、降水量を過小評価したりした場合、各水蒸気起源の流入経路、流入高度、流入量、凝結量をそれぞれ検証することで、精度を悪くしている要因を特定できる可能性があります。もし、上流側の水蒸気量の観測データを同化したことで精度が向上したのであれば、上述の検証から、その物理的要因を探ることができます。そのような検証は、数値予報モデルの改善にも繋がっていきます。今回は九州地方で甚大な被害を与えた典型的な豪雨事例に着目しましたが、豪雨をもたらす線状降水帯の特徴には著しい多様性があります。本研究の手法を活用して、線状降水帯の普遍的な理解をさらに進めていきたいと考えています。

【用語解説】
注1) 同位体領域気象モデル(IsoRSM)
 領域気象モデル(RSM)において水物質について計算する各物理プロセスに同位体過程が組み込まれた数値モデルです。凝結や蒸発時の同位体分別(平衡分別と動的分別)などが考慮されています。

注2) d-excess
 水素同位体比と酸素同位体比から求められる指標で、主に水が蒸発した時の環境を反映しているため、降水の元になっている水蒸気の起源を診断するトレーサーとして利用されています。

注3) 降水の同位体比
 水循環過程において相変化の履歴や分子拡散の程度が水の安定同位体比の組成に反映されるため、その水の履歴を遡って起源を推定することができます。水素同位体比または酸素同位体比が使われます。

注4) 大気境界層
 地表面(海面)から高度1kmぐらいまでの大気層で、地表面(海面)の摩擦の影響や地表面(海面)からの熱・水蒸気供給の影響を強く受ける層です。大気境界層の上は自由大気と呼ばれています。

【謝辞】
 本研究はJSPS科研費補助金(JP19H05696,JP20H00289)の助成を受けて行われました。

○論文情報:
雑誌名      :「Atmospheric Research」(3月1日)
論文タイトル   :Moisture sources and isotopic composition of a record-breaking heavy Meiyu-Baiu rainfall in southwestern Japan in early July 2020
DOI番号     :10.1016/j.atmosres.2023.106693

○お問い合わせ先:
(研究に関すること)
九州大学大学院理学研究院 教授 川村 隆一(かわむら りゅういち)
TEL:092-802-4233
E-mail:kawamura.ryuichi.130(末尾に"@m.kyushu-u.ac.jp"をつけてください)

(報道に関すること)
九州大学 広報室
TEL:092-802-2130 FAX:092-802-2139
E-mail:koho(末尾に"@jimu.kyushu-u.ac.jp"をつけてください)

熊本大学 総務部総務課広報戦略室
TEL:096-342-3269 FAX:096-342-3110
E-mail:sos-koho(末尾に"@jimu.kumamoto-u.ac.jp"をつけてください)

東京大学 生産技術研究所 広報室
TEL:03-5452-6738 FAX:03-5452-6746
E-mail:pro(末尾に"@iis.u-tokyo.ac.jp"をつけてください)

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