○発表者:
田中 肇(研究当時:東京大学 生産技術研究所 教授/現:東京大学 名誉教授)
○発表のポイント:
◆水が示す、密度、等温圧縮率、比熱、拡散定数、粘度などのさまざまな物理量の異常な温度・圧力依存性を、X線散乱実験データの解析から求めた、液体の水の中に存在する2種類の構造の分率により説明するとともに、第2臨界点(注1)の位置を予測することに成功した。
◆「水の特異性は第2臨界点にもたらされる臨界異常性に起因する」という従来の通説を覆し、それが、水素結合により局所的に安定化された正四面体的構造の形成に起因しており、第2臨界点は存在する可能性が高いものの、その影響は実験可能な温度・圧力領域では無視できることを示した。
◆この発見は、長年の未解明問題であった水の特異性の物理的起源を解明したのみならず、第2臨界点の位置を実験データに基づき予測する全く新しい方法を確立した点に意義がある。水は、われわれ人類にとって最も重要な物質であり、本研究成果は、物理・化学にとどまらず、生命科学・地球科学分野に大きく貢献するものと期待される。
○発表概要:
東京大学 生産技術研究所の田中 肇 教授(研究当時、現:名誉教授/シニア協力員)、シー ルイ 特任研究員(研究当時、現:浙江大学准教授)の研究グループは、水の特異性の起源に迫るべく研究を行った。
水は地球上で最も重要な液体でありながら、その性質は大きな謎に包まれている。その謎の一つは、液体の水に、気体・液体転移の臨界点のほかに、液体-液体転移に伴う第2臨界点が存在するか否かという点である。第2臨界点の実験的な探索は、それが存在するかもしれないと考えられる低温の水において氷の結晶化が避けられないため、非常に困難である。そこで同研究グループは、相図上で熱力学的・運動学的なゆらぎがそれぞれ最大となる2つの線の交点が、第2臨界点に一致するはずであるとの理論予測をたて、まずその妥当性を水の複数のモデルの数値シミュレーションにより確認した。さらに、この新しい方法により、実際の水の第2臨界点が温度184 K、圧力173 MPa付近に位置することを予測した(図1参照)。しかし、同時に、一般的な通説に反し、実験的にアクセス可能な水の液体領域は、この臨界点から遠すぎるため、水の液体状態でみられるさまざまな特異性には、臨界点の影響はほとんどなく、特異性は、水に特有な正四面体構造形成だけで説明可能なことを明らかにした。本研究成果は、レントゲン以来の長年の水の特異性に関する論争に終止符を打つとともに、我々人類にとって最も重要な液体である水の基本的な性質の理解に大きく貢献するものと期待される。
本成果は2020年10月12日(米国東部夏時間)に「Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America(PNAS,米国科学アカデミー紀要)」のオンライン速報版で公開された。
○発表内容:
東京大学 生産技術研究所の田中 肇 教授、シー ルイ 特任研究員の研究グループは、水の異常な物性の起源を明らかにすべく研究をおこなった。水が、結晶化の際に体積が膨張する、4℃で密度の最大を示す、比熱や圧縮率が温度低下に伴い異常な増大を示す、圧力上昇時に粘性が極小を示すといった、他の液体にない極めて特異な性質を持つこと、それが気象現象、地球物理現象、生命現象などに大きなインパクトを与えることは広く知られてきた。
このような水の特異性の起源は、レントゲンをはじめポーリング、ポープルらノーベル賞受賞者を含む多くの物理・化学分野の研究者の間で、長年議論されてきた。三島らによる2種類のアモルファス氷の発見、Stanleyらによる水のモデル系における、気体・液体転移の第1臨界点に加えて、第2臨界点が存在することの発見以来、この特異性の起源は、第2臨界点に由来した臨界異常性を反映したものと広く考えられ、臨界現象特有のべき乗則で記述されるものと考えられてきた。一方、同研究グループは1998年に、「水の特異性は、局所的に好まれる正四面体構造と秩序の乱れた構造という2種類の局所構造が液体水の中に動的に共存していることに起因する」という2状態モデルを主張し、特異性はべき乗則ではなく指数関数(ボルツマン因子)により記述されると主張してきた1。このモデルは水の熱力学的・動的異常を現象論的に説明するだけでなく、正四面体構造が協調的に形成されれば、液体・液体転移に起因した第2臨界点の存在も合理化できる。同グループは最近、液体の水の実験で得られた構造因子の中に四面体構造と無秩序構造が共存していることを直接的に示す実験的証拠を発見した2。しかし、第2臨界点の存在とそれが水の性質に与える影響については不明な点が多く、水の異常の起源にコンセンサスがなく、論争が続いていた。
同グループは、水の第2臨界点の有無とその位置を特定するための全く新しい独自の方法を提案した。まず、同グループが提案した階層性を考慮した2状態モデルに基づき、構造・熱力学的・力学的な実験データを系統的に解析した。このモデルでは、もし第2臨界点が存在するならば、熱力学的・動的な揺らぎがそれぞれ最大になる2つの線が臨界点で交差することが予測される。そこで、水の複数のモデルについて、シミュレーションによりこの予測を確認した。さらに、最近行われた低温域での圧縮率と拡散率の測定結果に基づいて、実際の水では温度184 K、圧力173 MPa付近で上述の2本の線が交差することを明らかにし、第2臨界点がこの付近に存在する可能性が高いことを示した(図1参照)。この予測は、今後の第2臨界点の実験的な探索に重要な指針を与えるものと期待される。第2臨界点の存在は強く示唆されたが、同時に、実験的にアクセス可能な液体の水の領域は、第2臨界点から遠すぎるため、臨界性はほとんど無視できることも明らかになった。今回の発見は、19世紀から続いていた水の特異性をめぐる長年の論争に決着をつける大きな手がかりを与えるものと期待される。
水は、人類にとって最も重要な液体であり、本研究成果は、水の特異な性質そのもの理解に留まらず、その生命活動、気象現象などとのかかわりの理解にも大きく貢献するものと期待され、物理、化学、生命科学、地球科学など広範な分野に波及効果が期待される。
本研究は、文部省科学研究費基盤研究(A)(JP18H03675)、特別推進研究(JP25000002, JP20H05619)、三菱財団の支援の下に行われた。
参考文献
1H. Tanaka, Simple physical explanation of the unusual thermodynamic behavior of liquid water, Phys. Rev. Lett. 80, 5750-5753 (1998).
2R. Shi and H. Tanaka, Direct evidence in the scattering function for the coexistence of two types of local structures in liquid water, J. Amer. Chem. Soc. 142, 2868-2875 (2020).
プレスリリース「液体の水の中には2種類の構造が存在する ~水の特異性をめぐる長年の議論に決着~」:
https://www.iis.u-tokyo.ac.jp/ja/news/3242/
○発表雑誌:
雑誌名:「Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America
(PNAS、米国科学アカデミー紀要)」(10月12日オンライン版)
論文タイトル: The anomalies and criticality of liquid water
著者: Rui Shi, and Hajime Tanaka
DOI番号: 10.1073/pnas.2008426117
○問い合わせ先:
東京大学 生産技術研究所
名誉教授/シニア協力員 田中 肇(たなか はじめ)
Tel:03-5452-6125 Fax:03-5452-6126
E-mail:tanaka(末尾に"@iis.u-tokyo.ac.jp"をつけてください)
○用語解説:
(注1)第2臨界点:
気相 - 液相間の相転移が起こりうる温度および圧力の上限が第1臨界点で、単一成分の物質に2つの液体が存在する場合に、その2つの液体間の相転移が起きる温度および圧力の上限を、ここでは第2臨界点と呼ぶ。
○添付資料:
図1:水の相図。星印は、本研究で予測された第2臨界点の位置を示す。黒い破線は相境界を表し、四角は液体としての水にアクセス可能な温度の下限を表す。推定された臨界揺らぎの大きさが3-7Åになる等値線を赤い点線で表示した。マゼンタ色の領域は、本研究で熱力学的実験データを解析した温度-圧力範囲を表しており、この温度領域では、揺らぎの特徴的な長さは水分子の大きさと大差ないこと、つまり臨界性の影響はほとんどないことがわかる。紫の線は、熱力学的揺らぎが最大になる線で、青い線は、動的な揺らぎが最大になる線で、それらが第2臨界点で交差する。