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【記者発表】平衡・非平衡の化学反応システムを統一する新理論――化学反応システムの持つ幾何学構造の解明――

○発表者:
小林 徹也(東京大学 生産技術研究所 准教授)
Dimitri Loutchko(東京大学 生産技術研究所 特任研究員)
上村 淳(東京大学 生産技術研究所 特任助教)
杉山 友規(東京大学 生産技術研究所 特任助教)

○発表のポイント:
◆化学反応システムの平衡・非平衡な性質を統一的に扱う新理論を構築した。
◆化学反応の持つ非線形で非平衡な特性を新たな幾何学を用いて扱うことに成功した。
◆高効率に機能する生体化学反応システムの理解や新たな工学システムの設計に寄与することが期待される。

○発表概要:
 生活を支えるさまざまな工学システムは力学的・電磁気的な物理現象を元にして作られており、その技術は力学や電磁気学の法則の発見とそれらを統一する物理理論に立脚している。一方で、生き物の基本単位である細胞やその機能は化学反応が組み合わさった回路により作られており、その性質の解明は生命システムの理解やその応用に不可欠である。しかし、力学や電磁気学が1世紀以上前から高度な理論体系を構築してきたのに対し、化学反応、とりわけそれらが組み合わさった化学反応システムにおいては、化学反応の持つ非線形で散逸的な性質が体系的な理論の成立を阻んでいた。
 東京大学 生産技術研究所の小林 徹也 准教授らの研究グループは、平衡・非平衡の化学反応システムを統一的に扱う新規理論を構築した。多くの物理理論が、距離や角度が自然に備わるリーマン幾何学(注1)的な空間を基礎とするのに対し、化学反応システムではヘッセ幾何(注2)という、角度などが自然には備わらない幾何構造が化学反応システムの平衡的・非平衡的性質のそれぞれで本質であることを明らかにし、その幾何学構造を用いて平衡・非平衡の両面を統一的に捉えることに成功した。そして、反応システムの動作に付随して発生するエントロピーを腑分けして特徴づける新たな方法を提案した。本理論は、工学システムよりも遥かに高効率に機能しているようにも見える細胞化学システムの設計原理の解明や、人工細胞・人工化学システムの設計を可能にする基礎理論となることが期待される。
 本研究成果は、2022年9月15日(米国東部夏時間)にAmerican Physical Societyによる「Physical Review Research」に掲載された。

○発表内容:
<研究背景>
 細胞は生き物の基本単位であり、その機能は細胞内で生じる化学反応で実現されている。さまざまな工学システムが力学的機械システムや電気回路システムであるように、生物は化学反応のシステムである(図1)。特に生体は、さまざまな面で既存の工学システムよりも遥かに熱力学的に高効率に機能していると言われており、その設計原理の解明は生命の理解や人工細胞の構築のみならず、新たな工学システムの開発にも寄与する。
 しかし、工学システムが立脚する力学や電磁気学などの理論が1世紀以上前から高度な理論体系を構築してきたのに対し、過去1世紀の歴史を持つにも関わらず化学反応システムの理論は未だそれらに比類するほどの体系化には至っていない。その原因の1つが化学反応の持つ非線形で散逸的な性質である。特に力学のフックの法則、電気回路のオームの法則に相当する構成式(注3)が化学反応では非線形であることにより、これらの物理理論が基礎とするリーマン幾何学的な空間とそこに付随する距離や角度を定める線形な内積構造が自然に活用できないことが理論上の困難であった。

<研究内容>
 本研究グループは、化学反応システムではヘッセ幾何という必ずしも線形な内積構造を必要としない幾何構造が化学反応システムの平衡的・非平衡的性質のそれぞれで本質であることを明らかにし、平衡・非平衡の化学反応システムを統一的に扱う新規理論を構築した。

1.化学反応の非線形で非平衡な関係を扱う幾何学
 「対象にどれだけ力をかけるとどれだけ応答するか」という定量的な関係は物理現象の記述に不可欠であり構成式と呼ばれる(図2)。電圧差と電流に対するオームの法則は線形な構成式の例であり、線形の構成式からは角度や距離が計量できるリーマン幾何的な空間が付随して現れる。本研究グループは、ルジャンドル変換という特別な非線形関係により化学反応の非線形な構成式が捉えられることに着目し、ルジャンドル変換が作り出す幾何学であるヘッセ幾何学を基礎に新たな理論を構築した(図2)。角度が定まらないと、さまざまな量、特に非平衡現象に付随して発生するエントロピーなどを独立な(直交な)要素に分解して調べることができない。本研究グループは、ヘッセ幾何における一般化されたピタゴラスの定理など用いることで、角度が定義できなくても化学反応システムの非平衡な動作に伴って発生するエントロピーを腑分けして特徴づける新たな方法を提案した。

2.平衡化学熱力学を包含する理論
 非平衡な化学反応システムの理論が未完成であるのに対し、平衡な化学反応の熱力学はGibbsらの貢献により約1世紀前に確固たる理論が成立している。新しい非平衡な理論はこの平衡熱力学と整合的でなければならない。本研究グループは、ルジャンドル変換とそれに付随するヘッセ幾何学構造が、平衡の理論においても本質的な役割を果たすことを明らかにした。非平衡におけるヘッセ幾何構造は構成方程式と結びついているのに対し、平衡では分子の濃度と化学ポテンシャルとの間の熱力学的関係にヘッセ幾何構造が現れる。そしてそれら2つのヘッセ幾何学構造が整合的に結ばれることにより、平衡・非平衡における統一的な理論が構築されることを示した。

<今後の予定>
 既存の物理理論は、ニュートン方程式のような微分方程式による法則の表現から始まり、解析力学や相対性理論のように現象の幾何学的構造を抽出することで歴史的に発展・深化してきた。化学反応システムの理論は反応速度論による微分方程式に未だとどまっている点で、ニュートン方程式に類する段階にある。本研究により化学反応システムの幾何学構造が明らかになったことにより、化学反応理論の飛躍的な発展が期待される。そして、その発展をもとに、生体システムは本当に工学システムに比べて効率的なのか、効率的であればそれを決定する本質的な要因や原理は何なのかという問いを扱うことが可能になり、生体システムの理解や人工的な生体反応システムの設計や応用のみならず、新しい工学システムの開発にも寄与すると期待される。

※本研究は日本学術振興会科学研究費助成事業(19H05799, 21K21308), CREST(JPMJCR2011, JPMJCR1927)などの助成や支援を受けて行われた。

○発表雑誌: 
雑誌名:「Physical Review Research」(9月15日)
論文タイトル:Hessian geometry of nonequilibrium chemical reaction networks and generalized entropy production decompositions
著者:Tetsuya J. Kobayashi*, Dimitri Loutchko, Atsushi Kamimura, Yuki Sughiyama
DOI番号:10.1103/PhysRevResearch.4.033208

雑誌名:「Physical Review Research」(7月21日)
論文タイトル:Kinetic derivation of the Hessian geometric structure in chemical reaction networks
著者:Tetsuya J. Kobayashi*, Dimitri Loutchko, Atsushi Kamimura, Yuki Sughiyama
DOI番号:10.1103/PhysRevResearch.4.033066

○問い合わせ先: 
東京大学 生産技術研究所
准教授 小林 徹也(こばやし てつや)
Tel:03-5452-6798  Fax:03-5452-6798
E-mail:tetsuya(末尾に"@sat.t.u-tokyo.ac.jp"をつけてください)
URL:https://research.crmind.net/index_jp.html

○用語解説:
(注1)リーマン幾何学
 馴染みのある2次元平面や3次元空間の概念を地球表面のような曲がった空間に拡張した幾何学。空間全体としては曲がっていても、局所的には通常の真っ直ぐな空間と同じ様に距離や角度が定義できる。距離や角度の測り方は、空間に備わった内積構造という線形な関係で定まる。一般相対性理論はこのリーマン幾何学を基礎に構成されている。

(注2)ヘッセ幾何
 ルジャンドル変換という非線形な関係が備わった空間の幾何学。2つの真っ直ぐな空間が非線形なルジャンドル変換により歪んだ鏡合わせのように重なり合っている(双対平坦構造)。角度は素直に定義されず、また2点間の距離も重なりあった2つの空間で長さが異なる。統計学や情報学の幾何学的な基礎として、情報幾何学と関連して発展した歴史を持つ。

(注3)構成式
 物理システムが、外からの作用に対して示す応答を定量化した関係式。対象とする物理システムごとに関係式は異なる。電気回路のオームの法則は、回路に流れる電流(I)と両端の電圧差(V)の関係がI=GVと比例関係にあることを主張する構成式である。化学反応では、化学ポテンシャルの差(φ)で誘導される反応の流れ(J)は非線形な関係(J=∂Ψ*[φ])にある。

○添付資料:
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図1 電気回路などで作られる工学システムと、化学反応が組み合わさった回路で作られる生体化学反応システムとの対比

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図2 構成式と関連する幾何学的空間の対応
線形な電気回路では電圧差(V)の空間で真っ直ぐな関係は電流(I)に変換してもまっすぐな関係のままである。非線形な化学反応では化学ポテンシャル差(φ)と流れ(J)の空間の間で、直線的な関係が曲がった関係に、曲がった関係がまっすぐな関係に非線形なルジャンドル変換で写され、2つのまっすぐな(平坦な)空間があたかも歪んで重なり合ったような幾何学構造(双対平坦構造)を作り出す。

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