○発表者:
溝口 照康(東京大学 生産技術研究所 教授、JSTさきがけ研究者)
清原 慎(東京大学 大学院工学系研究科 博士課程3年生)
リァオ・クンヤン(東京大学 大学院工学系研究科 博士課程1年生)
椿 真史(産業技術総合研究所 人工知能研究センター 研究員)
○発表のポイント:
◆物質開発の現場では、物質から機能や構造の情報を取得するためにスペクトルの計測が行われる。一方で、機能まで推測するには、複雑な理論計算や専門知識が必要だった。
◆人工知能にも利用される「ニューラルネットワーク」を利用し、スペクトルから直接、物質の構造と機能を決定する新手法を開発した。
◆さまざまな分光法に利用可能であり、複雑な理論計算や専門知識がなくても、高速かつ高精度に物性情報を定量でき、物質開発に広く貢献することが期待される。
○概要:
東京大学 生産技術研究所の溝口 照康 教授、清原 慎 大学院生、リァオ・クンヤン 大学院生、産業技術総合研究所 人工知能研究センターの椿 真史 研究員らの研究グループは、人工知能で利用されるニューラルネットワーク(注1)を応用し、スペクトル(注2)から物質の構造や機能を、直接かつ定量的に、高速かつ高精度に、決定する手法を開発しました。
スペクトルには原子の配列や結合に関する情報が含まれています。さまざまな分光法でスペクトルを測定し、解析し、物質の構造や機能に関する情報を導き出す手法は、半導体や触媒、電池、高分子などの物質開発の現場で広く使われています。
しかし、解析には、高度なスペクトルの理論計算(注3)を実施し、得られた計算結果を専門知識に基づいて解析する必要があり、数日から数週間を要していました。また、測定実績のない未知の物質のスペクトルを解析することは、非常に困難でした。
このような従来の解析法の限界を乗り越えるために、本研究グループは人工知能で用いられている機械学習法の一種であるニューラルネットワークを利用し、スペクトルから物質の構造や機能を直接定量することができる新手法を開発しました。人工知能技術を利用することで、理論計算や専門知識など必要とせずに、「スペクトル」と「構造・機能」を直接結びつけることができます(図1)。実際に、ノイズを含む実験スペクトルに本手法を利用し、構造や機能情報を高精度に決定できることを実証しました。
本手法により、物質を解析する現場で、高速かつ高精度に構造や機能を定量的に知ることが可能となり、高機能な物質の探索に貢献することが期待できます。
本研究成果は平成31年3月25日(英国時間)に英国物理学会(IOP)発行の「Journal of Physics: Materials」オンライン版に掲載されました。
○発表内容:
<研究背景>
物質開発の現場では、さまざまな分光法でスペクトルが測定されています。スペクトルには原子の配列や結合、物質の機能に関する情報が含まれており、スペクトルを解析してそれらの情報を獲得します。測定から解析、構造・機能情報の獲得という過程は、半導体や触媒、電池、高分子などさまざまな物質開発の現場で用いられている手法です。
一方、スペクトルから物質の構造や機能に関する情報を得ることは容易ではありません。たとえば、電子線やX線を使った内殻電子励起分光スペクトル(注4)からそのような情報を得るためには、研究者が高度なスペクトルの理論計算を実施し、得られた計算結果を専門知識に基づいて解析する必要があります。
そのような過程を経る必要があるため、実際にスペクトルを測定して、所望の情報を得るまでには数日から数週間を要しているのが現状です。さらに、これまで経験のない未知の物質からのスペクトルの解析は非常に困難でした。
研究グループはそのような現状を打破すべく、人工知能技術を利用した手法の開発に取り組みました。
<研究内容>
研究グループでは人工知能にも利用されている手法を利用し、専門知識や理論計算を用いることなく、スペクトルから物質の構造や機能に関する情報を直接決定する手法を開発しました。
今回の手法開発のために、188種類の酸化シリコン化合物の酸素原子サイトから、1,171個のスペクトルを測定し、ニューラルネットワークという機械学習法を用いて、構造・機能の予測を行いました。ニューラルネットワークでは、入力データと出力データをつなぐネットワークを学習によって最適化します。今回の研究ではスペクトルを入力データとし、従来のスペクトル解析から予測された物質の構造・機能情報を出力データとしました。物質の構造・機能情報として、シリコン-酸素間の結合距離、シリコン-酸素間の結合角度、酸素原子周辺のボロノイ体積(注5)といった幾何学的なものに加えて、イオン結合性、共有結合性といった結合物性、さらに、スペクトルの遷移エネルギーといった内殻軌道特性を用いました。
学習結果と予測結果を図2に示します。すべての構造と機能において、学習から導き出された値と従来のスペクトル解析から予測された値とが、対角線上にプロットされていることが分かります。これはスペクトルから物質の構造や機能に関する情報を直接定量化できていることを示しています。
一方、黄色い矢印で示したように"外れ値"も散見されます。今回の研究では、それら外れ値の起源も調べ、その解決策も明らかにしました。
さらに、シミュレーションにより得られたスペクトルだけでなく、実験で測定されるノイズを含むスペクトルを使って、構造・機能の定量化も行いました。その結果、実験スペクトルを使っても、構造・物性値を高い精度で定量化できることが分かりました(図3)。
<今後の展開>
今回の研究で注目した内殻電子励起スペクトルは、電子顕微鏡で原子1つ1つから直接測定することもできます。本研究で開発した手法を、そのような最新の計測手法に利用することで、顕微鏡で観察している領域にある原子1つ1つの構造や機能をその場で決定することが可能になります。
本手法により、物質を解析する現場で、高速かつ高精度に機能を定量的に知ることが可能となり、高機能な物質の探索に貢献することが期待できます。
本研究の一部は科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)「理論・実験・計算科学とデータ科学が連携・融合した先進的マテリアルズインフォマティクスのための基盤技術の構築」研究領域(研究総括:常行 真司(東京大学 教授))における研究課題「情報科学手法を利用した界面の構造機能相関の解明」(研究者:溝口 照康)の支援を受けて行われました。今後も、界面から取得される複雑なスペクトルの解釈に利用する予定です。
○発表雑誌:
雑誌名:「J. Phys:Materials」(オンライン版:日本時間3月25日(月)掲載)
論文タイトル: Quantitative estimation of properties from core-loss spectrum via neural network
(ニューラルネットワークを用いた内殻電子励起スペクトルからの物性定量化)
著者: Shin Kiyohara, Masashi Tsubaki, Kunyen Liao, and Teruyasu Mizoguchi
(清原 慎、椿 真史、リァオ・クンヤン、溝口 照康)
DOI: 10.1088/2515-7639/ab0b68
○問い合わせ先:
東京大学 生産技術研究所
教授 溝口 照康(みぞぐち てるやす)
Tel:03-5452-6098(内線57834) Fax:03-5452-6319
URL: http://www.edge.iis.u-tokyo.ac.jp/
○用語解説:
注1)ニューラルネットワーク
脳を模した機械学習の手法で、入力データと出力データの間を多層のネットワークでつなぐ方法。本研究では、入力データがスペクトルで、出力データが物質の構造・機能となっている。教師あり学習によりネットワークのつなぎ方を変え、出力データの予測精度をあげることができる。
注2)スペクトル
入射する光の吸収や発光などで得られる情報。赤外線からX線、電子線などさまざまな入射光が用いられる。本研究では、電子やX線を用いて測定される内殻電子励起分光スペクトル(注4)を対象とした。横軸にエネルギー、縦軸に吸収量をプロットして得られる2次元情報。
注3)理論計算
スペクトルを解釈し、原子配列や電子構造に関する情報を得るための計算法。特に、内殻電子励起分光法では、非常に計算時間を要する計算方法が使用される。
注4)内殻電子励起分光法
主に電子線やX線を用いて測定され、電子が励起した際に生じる吸収スペクトル。スペクトルには物質の原子配列や電子構造に関する情報が含まれており、特に、透過型電子顕微鏡を用いて測定される内殻電子励起分光法は「究極の分析法」とNature誌に紹介されるほど強力。
注5)ボロノイ体積
幾何学的に決まる値であり、中心原子周辺の空間の大きさを表す。
○添付資料:
図1 本研究のイメージ図。人工知能がスペクトルから直接物質の機能や構造に関する情報を導き出す。
図2 スペクトルから得られた各構造・物性情報の学習結果(縦軸)と予測結果(横軸)。対角線上に点が集まっているほど、学習と予測が一致していることを示す。
図3 実験スペクトルへの利用。実験スペクトルから学習の結果導き出された構造・物性値((b)の正解値)と、理論計算された値((b)の予測値)の比較から、ノイズを含む実験スペクトルからも、物質の構造・物性を定量できることが分かる。