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生研同窓会の思い、多数御参加へ激

二上かをる

6月2日、生研公開の日を期して、駒場リサーチ地区生研に新築の総合研究実験棟(A棟)3階で生研同窓会総会が開かれた。増子会長の開会の辞で始まり、簡潔明快なる議事進行、岡田副会長の閉会の辞で修了、引き続き行なわれた懇親会、奇しくも大安吉日の今日が使い初めという2階のコンベンションホール前ホワイエで、暮れなずむ小雨模様ながら多数参加、盛会であった。総会での会長、副会長の御挨拶の中に、特に第二工学部出身者にとってはこの会の意義と発展を願う含蓄ある御言葉が印象に残った。

増子会長は良く透る御声で生研発足のときのエピソードを話された。昭和24年、第二工学部廃止に関し当初、当時の冶金の金森九郎教授が職を賭して反対表明をされたということ、しかしその後、生研が誕生し、本郷千葉と一体となって立派な東大工学部として発展し、六本木の地に二工記念館も計画中とか。岡田副会長、閉会の辞の中で、今まで同窓会についてはあまり関心なく殆ど不参加、しかし生研同窓会に関してはその思いは変わった、大いなる会の発展、会員の多数ご参加をと締めくくられた。

金森教授表明の御心は、第二工学部は千葉の田舎、松林、芋畑にかこまれ、質実剛健、家族的、旧制高等学校のよさが残っている、戦後の心の荒廃、混乱、何とか昭和22年で帝国の名前が消えた東京大学の片隅にでもこのよさを残して国運の向上に寄与したいとの切々たる思いか。その後の工学部、また新設の生研、今日にいたるもこの思い、十二分に生かされている、今後もご安心と御期待をとの会長の力強い御気持ちが読み取れた。

岡田副会長の同窓会観転換の意味、御質問への御答え、懇親会での懇談を含め、十分御理解できた。単なる同窓親睦だけの会ではない二工、生研何らかの縁に結ばれた人々が共生の実を示す一つの場としての存在意義、ホームページの解説にも、「会員の親睦を深めるとともに、生研を核とした研究・技術情報のネットワークを築き、併せて生研の研究・教育活動を応援するための会です…」とある。

第二工学部卒業生など夫々のクラス会、同窓会などがある、屋上屋を重ねて改めて生研同窓会?との疑問。しかし単なる同窓親睦のみの会ではない多角的な活動を、高年化社会、花鳥風月を友にするのみでなく折角の経験を現代社会に還元寄与し、隣は何をする人ぞの世相を改め、国立大学法人化、経済万能の風潮に流れることなく土俗的なよさを残して、とのこの会の意味の御理解を。

なお漏れ承れば昭和29年、白線浪人救済の為の最後の二工卒業生(書類上は26年で二工の名は消えている)毎年行なっていた全学科一堂の同窓会、昨年で休止、生研同窓会設立もその代行もかねてとの温かい御心も含まれているとか。また維持費、各人の自由に任せるとか、古きよき時代の自由と自治の精神、脈々としてあり、新しい時代の幕開けのためにも特に二工、関係者、この会に名を連ね大いに有効活用されることを、人生出会いの有難さ奇しきご縁を感謝いたします。