ロケットの開発戻る  
           
  【詳細】

ロケットの開発

日本のロケット開発は本所から始まった。当初、大陸間を超高空、超高速で飛行する「ハイパーソニック輸送機」が糸川教授により構想され、1954年、AVSA(Avionics and Supersonic Aerodynamics)研究班が本所に誕生。同年の国際地球観測年準備会議をきっかけに、宇宙用観測ロケットの研究へと軌道修正された。翌1955年4月にはペンシルロケットの水平発射実験が実施され、その後、ベビーロケット、カッパロケットへと発展。1958年には2段式カッパ(K)-6型が高度40km、1960年にはK-8-1型が高度200kmに達し、世界初のイオン密度測定を行っている。さらに、1961年には到達高度300kmを達成し、電子密度、温度の観測にも成功した。このような目覚ましい進展の中、実験施設として、1955年に秋田ロケット実験場、1962年に鹿児島宇宙空間観測所(内之浦)と能代ロケット実験場を開設している。また、1957〜58年の国際地球観測年に参加し、世界9ヶ所の観測拠点のひとつを担当。電気・通信関連の研究室が科学衛星による観測を行い、土木・建築の研究室がロケットからの信号受信用大型アンテナの開発や打ち上げ実験場の建設に参加するなど、ロケット本体の研究に留まらず、所を挙げての研究プロジェクトに発展した。そして、1964 年4月、東京大学宇宙航空研究所の創設に伴い、ロケット研究の主力は本所を離れ、宇宙科学研究所を経て現在のJAXA宇宙科学研究所に引き継がれている。

------------------------------------------

[研究者プロフィール]

萌芽期
糸川 英夫 (Hideo Itokawa) (1912年〜1999年)
●当時の職位: 本所第1部教授
 
展開期
東京大学宇宙航空研究所
 
現 在
JAXA宇宙科学研究所
  秋田ロケット実験場
秋田ロケット実験場


カッパ6型1号機
カッパ6型1号機


ラムダ
ラムダL-3-1号機、内之浦実験場


鹿児島宇宙空間
鹿児島宇宙空間観測所第1回飛翔実験


ラムダ2号
ラムダ2型1号機飛翔実験集合写真
 
 
Quick Menu   ページトップへ 戻る