既存不適格構造物の耐震補強対策を推進する環境作りのために

−我が国の地震防災対策における最重要課題への取り組み−

 

目黒 公郎

東京大学助教授・生産技術研究所・国際災害軽減工学研究センター

 


1.はじめに

いかに充実した事後対応システムを持とうが,地震直後に発生する被害の量を減らす努力なしでは,地震被害を抜本的に軽減することはできない.兵庫県南部地震の最大の教訓は,「復旧・復興期までを含めて,発現してくる様々な問題の根本的な原因は,地震直後に発生した大量の構造物被害と,これを原因として生じた多数の人的被害であった」ことである.

地震直後の被害を軽減するには,地震が襲ってくる前に構造物を強くしておく以外に術はない.すなわち,強度の不十分な施設の耐震補強を実施することである.しかし現実問題としては,耐震補強対策はなかなか進展していかない.特に一般住家を代表とする公的ではない構造物の耐震補強が全然進まず,これらが将来の地震発生時に大量の死傷者を出すことも確実視されている.

なぜ一般住家の耐震補強対策が進展しないのだろうか?

著者には,この原因は耐震補強の技術的な問題というよりは,耐震補強対策をとりまく制度やシステムの問題と思われてしかたがない.そこで本研究では,耐震補強対策の普及を目的として,そのドライビングフォースとなるような制度/政策案について考えてみたい.すなわち,補強対策の効果/便益が行政サイドからも市民サイドからも容易に理解できるデータを示すと共に,新しい制度/政策(案)を提案する.

 

2.制度/政策(案)とその効果の分析法

2−1.提案する制度/政策(案)


兵庫県南部地震の経験を踏まえ,幾つかの自治体では耐震補強対策の推進を目的として,一般住家の耐震診断や耐震補強にかかる費用に対する補助制度や低利の融資制度を始めたが,これらの制度が有効に機能している自治体は見られない.原因は幾つか考えられるが,その1つに耐震補強対策の効果が見えにくいことがあげられる.一般の人々に耐震補強することの意義とその効果/便益を分かりやすく伝えることができれば,耐震補強対策に取り組む人の数は大幅に増えると考えられる.しかし上述の制度では,耐震補強対策に取り組む人が大幅に増えると,今度は財政上の問題が生じる.すなわち,行政が十分な財源を用意できない,つまり地震の前に,行政がこの手の地震対策に巨額の予算措置を講じることが難しいという問題に突き当たる.

ところで我が国では,自然災害に関しては「自力復興の原則」があり,地震による被災建物の建て替え・補修費用は基本的に個人負担である.しかし地震で建物が大きな被害を受けたり,家を失ってしまった被災者には,直後の救命・救急活動から,避難所や仮設住宅の整備,緊急物資の配給など,様々な形で公的資金が使われる.これらの経費の多くの部分は,建物が被害を受けなければ費やす必要のない公的資金である.

そこで,私が提案する制度は,「しかるべき耐震補強を済ませた建物が被災した場合に,建て直しを含めて被災建物の補修費用の一部を行政が負担することを保障する.」というものである.もちろん,「しかるべき耐震補強」を済ませた物件か否かを判定する中立な組織をつくるなど,確認システムの整備は不可欠である.この制度は以下で説明するような幾多のメリットが行政サイドからも市民サイドからも期待される.ここでは,川崎市中原区(面積14.81km2,人口19.2万人)を対象として,本制度の有無による地震被害の違いをシミュレーションし,その有効性を示すことを試みる.なお,対象地域に存在する建物の構造種別・棟数・建築年代は表1通りである.

 

表1 対象地域の建物の分類

構造種別

建築年代

棟数

平均床面積

(u/棟)

資産率(%)

(新築に対する割合)

 

1971年以前

14,031

72.3

34.0

1972-1981年

8,416

80.3

53.3

1982年以降

8,317

107.9

75.7

1981年以前

10,490

207.9

64.1

1982年以降

11,703

287.3

85.8

 

2−2.分析の準備

<建物被害額の算定>

  建物を建築年代(建築基準法の改定を境として)ごとに分類し,それぞれのグループごとの地震被害関数(フラジリティーカーブ)から,想定地震動の強度に応じた全壊数・半壊数を見積もる.被害量は金額として評価するが,その際には構造別の床面積あたりの資産額を算定することにより金額への変換を図る.また構造物資産価値は,新築で木造が15万円/m2,非木造が30万円/m2,また減価償却については,木造は25年間(年平均約2.7%の償却),非木造は40年間(同約1.7%)で価値が50%になるものとする1)

テキスト ボックス:  (1)木造構造物の地区年代別の被害関数(全壊率)

 
(2)木造構造物の地区年代別の被害関数(全半壊率)
図 1 兵庫県南部地震の被害分析による被害関数例3)

<耐震補強による被害額変化の見積もり>

ここで耐震補強策の効果を考慮し,施策による建物の耐震性の上昇,及び被害額の減少を評価する.耐震補強策の経費は,単位面積当たりで構造別に設定する.本研究では,文献1)に従って,床面積当たりの改修費用を,木造で1.5万円/u,非木造で4.0万円/uとした.耐震補強率に応じて被害建物数が変化するため,耐震補強実施率及び地震動別のシミュレーションを行い,政策の有無による被害額の変化や投資効果を検討する.

<仮設住宅・がれき撤去/処理費用の見積もり>2)

仮設住宅については,兵庫県南部地震のデータから,神戸市負担分相当の13万円/戸の費用が,予想される仮設住宅数に応じて発生するものと仮定した(ちなみに仮設住宅1棟の建設費はトータル約280万円).がれきの撤去並びに処理については,神戸市の事例より,処理建物一棟につき327万円の費用が,予想される建物解体棟数について発生するものとする.

<最適補強策の決定>

耐震補強の効果を比較することにより,最適な補強案を決定する.本研究では,構造物の建築年を基準として,木造3分類・非木造2分類の合計5つの分類に対し,それぞれ兵庫県南部地震の被害分析結果に基づいて得られた被害関数3)を用いる(図1).ところで,村尾・山崎による文献3)の地震被害関数は,現在最も精度の高いと思われる提案式の1つであるが,一方でこれを用いると言うことは,阪神地域の建物の強度特性と本研究の対象地域(川崎市中原区)の建物の強度特性が同等であると仮定していることになる.故に,この点については,今後対象地域の構造物の強度特性を良く吟味した上で改良すべき余地がある.

さてここでは,上で説明したような5分類の構造物に対して,以下に示す3ケースの対策(表2)を想定し,それぞれについて単位費用当たりの被害軽減効果を計算し,最適な耐震補強案を求めた4).新耐震以前の基準で建設された構造物は,耐震補強を行うことによって現行基準(新耐震)による構造物と同等の強度を有することになる.その結果としての被害額の減少と,耐震補強を行うに当たって要した費用を比較することにより対策法の効果を求めることができる.

 

2 耐震補強のCase別対象建物

 

補強対象構造物

Case 1

1971年以前の木造構造物 (約1.40万棟)

Case 2

1972-1981年の木造構造物 (約0.84万棟)

Case 3

1981年以前の非木造構造物 (約1.05万棟)

 

2−3.提案制度の効果の分析法

提案制度の有無により,地震を受けた際の行政・住民の負担が変化する.今回は,「家屋被害」,「仮設住宅建設」,「がれき撤去/処理」,「家屋再建」の4要素について考えてみる.本研究では,阪神・淡路大震災の教訓からも最大の問題であることがはっきりしている1971年以前の木造を対象とした補強(Case 1)を実施した場合の例を示す.なおCase 1は,2−2で説明した3ケースにおいて最も投資効果の高い対策であることも確認済みである4)

提案制度が適用される以前においては,家屋被害と家屋再建(中破建物では補修費,全壊建物では新築費)は個人負担,仮設住宅・がれき撤去/処理は行政負担とした.被害建物の補修費は,実例に基づいて,新築の場合の1/3,すなわち床面積当たり,木造で5万円/m2,非木造で10万円/m2とした.

次に,本制度を適用する事により,地域住民の一部が耐震補強を実施することを仮定する.補強の実施により,家屋被害が減少し,その結果,仮設住宅設置・がれき撤去/処理費用が減少する.既に説明したように,事前に耐震補強策を講じ,「しかるべき耐震補強」を済ませたと判断された建物については,その建物の被害については再建費用の一部を行政が負担することとなる.以上の要素を総合的に判断して,本制度の有効性を判定する.

 

3.シミュレーション結果と考察

3−1.シミュレーション結果

 ここでは仮に耐震補強を行った建物が被害を受けた場合,全壊については300万円/棟(仮設住宅建設費相当),半壊については150万円/棟の補助(この額は,1棟の床面積を100m2とした時に補強に要する費用であり,掛けた分のお金が地震後に戻ってくることに相当する)が行政からなされる場合の結果を示す.このときの行政側の負担は,上記の補助に加え,被害規模に応じた仮設住宅の設置と倒壊建物のがれき撤去及びその処理費となる.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


図2  耐震補強普及率と地震動別の川崎市の負担額の変化

 

  図2は,提案制度による耐震補強の普及率と想定地震動強度(地表速度:kine)別の行政(川崎市)負担額の変化を示したものである.このグラフより,提案制度の有無による市の負担額の差は,想定地震動が大きくなるほど大きくなる事がわかる.また地震動が50kineの場合の制度あり・なしの例(普及率100%と0%)を比較すると,事前の耐震補強によって,市の負担額が同程度でありながら,全壊棟数は1830棟から750棟に大幅に減少することが分かる(図3,ちなみに60kineでは4020棟から1640棟).またその結果として,必要とされる仮設住宅の数もまた大幅に削減可能となる(図4,50kineで半数以下).仮設住宅の建設用地の確保が非常に困難である首都圏の状況を考えると,この数を大幅に削減できることの意味は大きい.またここでは,神戸市の事例に従って,仮設住宅建設についての市の負担額が費用全体の5%弱(13万円/280万円)と仮定していることを考えると,国・県を含めた行政全体としての負担額の差は,提案制度のある・なしでさらに大きくなる.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


図3  耐震補強普及率と地震動別の全壊建物数の変化

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


図4  耐震補強普及率と地震動別の必要仮設住宅数の変化

(神戸の例に準じた場合)

 

 次に,本制度による住民側のメリットを見てみる.図5は,中原区全域の1971年以前の木造構造物を対象として,本提案制度による耐震補強の普及率と想定地震動強度(地表速度:kine)別の住民負担額の変化を比べたものである.ここでは,住民側の負担額としては,「家屋被害」,「事前耐震補強費」,「家屋再建費」を考えている.また,提案制度の条件を満足する物件が地震被害を受けた際には,その建物の再建には行政からの補助が得られる.

  図5を見ると,想定地震動30kineを境として,それより大きな地震動においては,提案制度により事前に耐震補強を行っておくことが,住民側から見ても大きなメリットがあることが分かる.地震動30kineは行政が地震対策として通常考えるべき地震動強度(例えば図1でも示したように,建物被害の程度から推定された兵庫県南部地震における地震動の強かった地域の地表最大速度は150 kine以上5))であることから,この程度の地震動からメリットが生じることの意味は非常に大きい.またここでは,建物内の資産の損失については考慮していないが,建物の被害に応じて建物内の資産の損失が大きく変化すること,特に「倒壊」の状況では建物内の資産がほぼ全滅することを考慮すれば,提案制度による耐震補強対策の効果がより高く評価されることになる.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


3−2.考察

前節で紹介したような結果から,提案制度による耐震補強促進対策は,行政サイドからも住民サイドからも大きなメリットのある制度であることが分かった.すなわち,行政側の視点からは,地域の防災ポテンシャルを具体的に高め,地震発生時の被害を大幅に軽減する効果的な対策であること.しかも公的資金の効果的な運用という観点からも優れていることが分かった.住民側から見た場合には,当然想定しなくてはならない規模の地震動においても,負担額の軽減に大きく貢献する事が確認された.以下に提案制度の長所をまとめておくと,

    現状の耐震診断・耐震補強の助成制度と違い,行政(自治体)は地震の前に巨額な資金を用意する必要がない.被害建物への補償金についても,地震の後であれば,上位の行政機関からの予算が出やすいことを考えれば,予算措置は地震前よりも容易である.

    国レベルで考えても,提案制度は地震直後の被害を軽減するための対策への公的資金の有効利用策となっている.

           自然災害からの「自立復興の原則」に対して,公的資金の個人資産への運用を伴うが,行政として当然想定すべき強度の地震動を及ぼす地震の発生時に,被害を大幅に軽減する効果が期待でき,結果として公的資金の有効活用が実現される.

           地震直後に発生する被害の大幅な軽減に貢献するということは,事後対応すべき事柄の量と困難さを大幅に軽減する点で重要な意味を持つ.

           住民サイドから見た場合にも,当然想定すべき強度の地震動レベルから,本提案による耐震補強対策が経済的に優れた政策であることが,耐震補強率と地震後の負担金額の変化から確認された.

           家財の損失などによる経済的な損害までを考えた場合,本制度の効用はより高く評価される.

           人的被害の多くが,地震直後の構造物被害によって発生している事実を踏まえると,経済的な問題に加えて,家族の人命を守ると言う観点から,事前対策を推進する本制度の効用は,住民にとって非常に大きい.

           本提案制度と地震保険との決定的な差は,地震保険契約を結ぶことは地震直後に発生する被害を軽減することには直接結びつかないが,提案制度は地震被害を軽減することに直結している点である.などが挙げられる.

 

4.まとめ

想定地震動と発生確率の関係,被害建物への適正な補償システム/金額の設定,第3者耐震補強評価システム/機関の設立など,検討すべき点もあるが,本提案制度は,我が国が抱える地震防災上の最大の課題である既存不適格構造物の耐震性能の向上に向けて,有効に機能する可能性を持っている.すなわち従来なかなか進展しなかった一般住家の耐震補強対策を推進させるドライビングフォースとして機能する可能性を有する制度であることが確認された.今後は上で述べたような課題について更に詰めていく予定である.

 

参考文献

 

1)建築行政研究会:建築物の耐震改修の促進に関する法律の解説,大成出版社,1996.5.

2)神戸市:阪神淡路大震災-神戸市の記録,1996.1.

3)村尾 修:兵庫県南部地震の実被害データに基づく建物被害評価に関する研究,博士学位論文(東京大学),1999.

4) 高橋 健・目黒公郎:活用性の高い地震被害想定/支援システムに関する基礎的研究-川崎市を対象として-,第54回土木学会年次学術講演会講演概要集第1部(B),土木学会,pp.80-811999.9.

5) 山口直也・山崎文雄:1995年兵庫県南部地震の建物被害率による地震動分布の推定,土木学会論文集,No.612/I-46pp. 325-336, 1999.